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今日は1984MMF最後のコンサートから。
締めにふさわしい演奏だった。そのときの模様。
1984年8月25日(土)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
モーツァルト/音楽の冗談K.522
モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番K.271
メナヘム・プレスラー、ピアノ
フンメル/トランペット協奏曲
ウィントン・マーサリス、トランペット
モーツァルト/交響曲第35番ハフナーK.385
マイケル・ティルソン・トーマス指揮
モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ
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今日は今年のモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルの最終公演であった。最後にふさわしく曲目、演奏ともに充実したものだった。
マーサリスの恐ろしい程までの技巧もさることながら、ジャズ畑の演奏家であろうがなんであろうが、とにかく実力さえあれば分野は関係なく受け入れてしまうアメリカの気質はたいしたものだと思う。彼は二十歳だそうだ。
フンメルの協奏曲の第3楽章はほとんど信じがたい超絶技巧で飛ばしまくった。平然と吹く姿は信じがたい。
拍子をとる姿は全くジャズ的な雰囲気なのだが、いったん演奏し始めると完璧なフレーズと音程それにアインザッツをもってして鳴らすのである。音色は甘くまるでコルネットのようであり、また一様性が保たれているので安定感がある。彼は二十歳にしてすでに何か決定的なものを身につけてしまったのだろうか。
彼に音楽の内面性などというものを求めてはいけない。彼は体が感じたことをそのまま素直に音楽に表現しているだけなのだ。音楽のフィーリングが昇華された姿がここにあると思った方がよい。アメリカの聴衆からひさびさの絶叫が聞かれた。
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最後にマイケル・ティルソン・トーマスがモーツァルトのハフナーを振った。非常に重量感のある棒で、やはり今まで私なりに彼に抱いていたイメージは捨てなければならない。
どうもレコードでは室内オーケストラを振ったものが多く、イメージがそっちの方に偏りがちであったが、やはりここでもレコードによる弊害みたいなものがでてきてしまって、そのような印象は早く忘れなければならない。
彼の演奏は重量感があるといっても決して重苦しいものではなくむしろ軽い感じ、軽快な演奏ではある。オーケストラの各楽器毎のアンサンブルを克明に切り刻むので音楽の輪郭がはっきり表れてくるためにそのような印象を与えるのかもしれない。
しかし、オーケストラ全体としてみると音自体がよく鳴りきっているので気持ちがよく、自由奔放さも決して失われることはない。
とにかく彼の指揮姿は39才の今でも若々しく初々しい。音楽が広がるときは右へ左へ向きまた天井にとどかんばかりになり、音楽が静けさを要求するときは指揮台の上で膝をついているのではないかと思うばかり折れ曲がる。その姿に煩わしさ、わざとらしさはなくよくみると彼の作り出す音楽そっくりなのです。彼がニューヨーク・フィルハーモニックの常任になれば新風を巻き起こすかもしれない。マンハッタンに新風を!
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なんやかやとこの音楽祭についてケチをつけたことがあったが、とにかく無いよりはましで、ましていつもこの最後の演奏会のように充実していればいうことはない。
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翌日のニューヨーク・タイムズにクラッチフィールドさんの評が載った。マーサリスの演奏がセンセーショナルまでに書かれている。
フンメルの曲は通常Eフラットだが、超困難なオリジナルのEで吹かれた。
二十歳のマーサリスはエイヴリー・フィッシャー・ホールを黙らせることはせず、プログラム・エンドではないのに激しいスタンディング・オヴェイションの渦となった。思い出すに足るコンサートだ。
おわり