前回ブログ820-で書いた続きです。
1984年のフェスティヴァルは7月9日から始まりました。翌日の10日から通いはじめ、2カ月弱のフェスティヴァル期間のあいだ10回ほど聴きました。今日はそのうちの最初のものです。
1984年モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル
プレ・コンサート・リサイタル
1984年7月10日(火) 7:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
ホフマイスター フルートのための魔笛のテーマによる変奏曲
モーツァルトピアノ・ソナタK.331
フィリップ・アントルモン、ピアノ
キャロル・ウィンセンス、フルート
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メイン・コンサート・リサイタル
1984年7月10日(火) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
モーツァルト 弦楽四重奏曲第20番K.499 (ホフマイスター四重奏曲)
モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番K.478
モーツァルト フルート四重奏曲(ホフマイスターによるピアノソナタK.533とK.494の編曲)
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番Op.95 セリオーソ
東京クヮルテット
ピーター・ウンジャン、ヴァイオリン
池田菊衛、ヴァイオリン
磯村和英、ヴィオラ
原田禎夫、チェロ
ゲスト・アーティスト
フィリップ・アントルモン、ピアノ
キャロル・ウィンセンス、フルート
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アップしてある写真のプログラムは順番変更となってます。記載した順番が正しいものです。
8時からのコンサートの前に必ずプレ・コンサート、リサイタルが7時からありましたのでそれも一緒にアップしました。
それでそのメインの演奏会の模様は?
昨日からモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルが始まった。去年もこの夏のマンハッタンの音楽祭を聴いたので、あれからはやくて1年も経ってしまった。夏のみんな暇のもてあましている連中にとってはちょうどよい暇つぶしではある。それに7月9日から8月いっぱい日曜を除く毎日ほとんど2カ月近くやっているので、観光などでばったりマンハッタンに来た人でも手軽に聴いていける気安さがある。
ただ、今日はものすごい聴衆であった。ほとんど満席で、エイヴリー・フィッシャー・ホールが立錐の余地もなかった。これは東京SQの人気によるものなのか、はたまた始まったばかりだからか?よくわからないがとにかく人は少ないほうより多いほうがよいにきまっている。するほうにとっては。
というわけで東京SQ。レコードは1枚持っているが生で聴くのは初めて。室内楽を大ホールで聴くのは好みではない(なぜか眠くなる)のだがしょうがない。
東京SQはその名声に違わず素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれた。どういうところがよかったかと言われてもあれだが、とにかく東京SQ独特のトーンカラーを持っていると思う。以前レコードで聴いたとき少し音が曇った感じだったので、これは録音のせいかなと思っていたのだが、実際こうやって生演奏に接してみても同じ傾向のトーンカラーなので、ああこれはまさしく東京SQのものだなあと感じた次第。薄曇りの日にみるステンドグラスみたいな音色である。
それにしても、モーツァルトとベートーヴェンの違い。
セリオーソなど聴くとひとりでに背すじがシャンとしてきて姿勢をただしたくなるような音楽なのに対し、モーツァルトの室内楽はサロン的雰囲気が強く、あまり観ながら聴きたいとは思わない(広い場所では)。1曲目では熟睡してしまった。
次の曲ではフィリップ・アントルモンも出ることだしと思って少しその気になって聴いたら、これが、息が合っていて楽しかった。
セリオーソでは4人が息の合ったところをみせ、素晴らしいハーモニーが一点の狂いもなく響き、ホール全体が良く鳴っていたように思う。
なぜ、ベートーヴェンが室内楽を書くと他の分野同様このように音楽が凝縮された感じをもつのだろうか。彼の弦楽四重奏曲を全てそれも一晩のうちに聴きたい衝動にかられてしまうから不思議である。
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といった拙い感想でした。
ところで、2日後の12日のニューヨーク・タイムズにこの日の演奏評が載った。書いた人はウィル・クラッチフィールドさん。
バーナード・ショウが昔メルバをほめた言葉を引用している。メルバというのはネリー・メルバ、昔のソプラノ。その室内演奏団体版だというのである、東京SQを。
早い話、ベタほめ。それでも物足りないらしく、ホロヴィッツ、サザーランド、ハイフェッツ、リヒテルまで出してくる。メルバを知らない、好みでないなら、彼ら他の人間から選んで比較しろとまで言っている。
異常な評だ。
内容はほとんどセリオーソのことだけ。
たしかに、あの凝縮して充実した響きがホール全体に棘刺したことは今でも思い起こすことができる。
おわり