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レコ芸に吉田秀和氏の連載もの「之を楽しむ者に如かず」がある。2009年1月号を読んでいてどうも妙に気が落ち着かない。
この号の副題は
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ワルターとペライア
―運命的なものの反映として
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というものだが、メインのスポットライトはペライアのピアノ、ワルターに関してはその時代の他の演奏家のことも含め散文的な序文だ。
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氏はものを書くときおそらく資料的なものをなにも見ずにそれまでの積み重ねの経験、知識、記憶で書いていると思う。見ながら書くと流れが損なわれ文章がごつごつとなる。それはわかるのだが、あとで調べることもしていないと思う。あとで調べてわかるようなことを多く書いているのでわかってしまえば文章が成り立たない箇所が多い。
このようなことは昔はあまりなかったような気がする。
この号の連載の前半部分を読んでみるとよくわかるが、なんと‘?’の多い文章だろう。
昔話で的確に思い出せない部分に‘?’がやたらとついている。昔何回も取り上げた内容を散文的にブツブツと切れたように書いている。内容は深いとは言えないし、副題の演奏家の連関も今ひとつ説得力に欠ける。
‘?’の出現が全体的に、音楽の肯定要素を薄めてしまって力強さに雲がかかっている。
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こんなことを書いていて昔話をするのも変だが、昭和40年代一番最初に「吉田秀和全集」のその1巻目が出たときはすぐに買った。平易な文章とスコアが一般文章の中に頻発するのが新鮮で、それまでのいろいろな単行本の焼き直しの内容もあったと思うが、どんどん読めて楽しかった。
第何巻と第何巻で言っていることが違うではないか、などと手紙を書き直筆(と思われる)の返事をいただいたこともあった。結局第12、13巻あたりまで買い続けいつのまにかやめた。たしか、第10巻までは連発で刊行されたが、そのあと11巻からとびとびの発売になったような記憶があり、そのあたりから別の方に関心がいったのかもしれない。今考えると氏の考え方というよりも音楽の知識、接し方についていろいろとためになったことの方が大きい。その後、反発したりもしたが、あれは今考えると反抗期のようなものだと思っている。
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1950年代のヨーロッパ音楽旅行が、第2の原点、音楽評論においては原点のように思える氏の活動、当時であれば最先端の音楽情報がはいってくるなかでうまくさばきながらの執筆活動それらが目に浮かぶ。
いまはどうであろうか?
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