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歌曲の公演にはほとんど行くことがないのだが、冬の旅に関しては、以前NHKの放送でツェンダー編曲の録音(*)を聴いてから少しは興味があった。そんな微熱しかないことをいいことに安眠を貪っているのも棚に上げ、千載一隅のこの機会を逃すまいなどというのもおこがましい。
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2009年1月15日(木)7:00pm
サントリーホール
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モーツァルト/交響曲第40番
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シューベルト/冬の旅、全曲
(鈴木行一、オーケストラ編曲)
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バリトン、フローリアン・プライ
ワルター・グガバウアー指揮
読売日響
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チケットは昨年のうちに買ってあったのだが、あまりいい席ではなかったので当日受付にもっといい席がないか訊いてみたら河童用の特別席があるとのことで、差額の2千円を支払い特等席に座らせてもらった。ネットの座席指定はどうも信用できないというか、ろくな席がないわりには会場はガランとしていることもままある。この日は比較的盛況だった。
みんな熱のこもった静かな拍手をするなか、特別席のすぐ後ろでただ一人ブラボーコールを繰り返す聴衆がいて、これなどご本人の聴く才能を周りに示したいばかりの部分があり不快ではないものの、大げさに素晴らしいと対象を誉めることは自身の価値を知らしめる為にやっている行為だというのはいかにも本当くさいものなのだ。
ということで、席の関係か、オーケストラの響きが強い。フォルテシモでなくても強い。響き自体は美しいものの、ときとして音型をなぞってユニゾン風に奏される伴奏は問題ありだ。ベートーヴェン第九のトロンボーンのような雰囲気であり、それであればなにを学んでの編曲だったのだろうか。ワーグナーの素晴らしさは歌と楽器が対等に歌うことであり、そのようなものを今日のシューベルトに聴くほうが求めていたとしたら勘違いしてしまったということだろうか。
オーケストラを抑えて歌を聴かす編曲ではない。グガバウアーの棒は限りなく献身的なもので、シューベルトの歌、そして歌手に限りなく近いもの。音楽の流れをこれだけ細やかに的確に表現しても、あの艶やかなプライの声が残念ながら少しかき消される箇所がありもったいない。ユニゾンの音型なぞりはピッチが合えば合うほど声の響きがなくなる。聴いていてよくわかった。
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ヘルマン・プライの全盛期は知らず、運動のあとの整理体操状態の舞台を何度か見ただけだが、そのヘルマンが編曲を鈴木行一さんに依頼してできあがったのが今日演奏されたアレンジでありドイツ各地で昔よく歌っていたとプログラム冊子には書いてある。
編曲にちょっとケチをつけてしまったが、一曲の歌が済んだところからそれぞれのエンディングに至るオーケストラの演奏に味わいがあり、歌の感動の余韻が余波のように徐々に静まりかえる様はかみしめる価値あり。
今日歌ったフローリアン・プライはヘルマンの息子。細身で、指揮者ともども長身が目立ち、読響のメンバーと首一個違う雰囲気で大人と子供のように見えなくもない。
フローリアンのバリトンの声はそんなに大きくない。艶があり張りがあり、一番にドイツ語の響きが美しい。オーケストラのハーモニーが美しいのか飽和しているのかデリケートなニュアンスの音模様のなかにたまにうずもれる瞬間がある。声をソロ楽器のような扱いにしていないのでこのようになる。でも個人的にはこのような音色変化があった方が楽しめる。全24曲、ポーズなしで1時間を超える美演であったが、ピアノ伴奏ではちと辛い。
このサントリーホールをまるで室内楽専用ホールの響きのように耳をそばだてさせて聴かせてくれたのはグガバウアーの棒によるところも大きい。前半のモーツァルトは横に置くとして、ウィーン少年合唱団のタクトをとっていた指揮ぶりはみごとであり愛着からしか表出されないような織物のような彩、色彩、見事。歌の聴かせどころで思いっきり抑えるようなしぐさが少し痛々しいほどオーケストラが響いてしまう個所が数か所あったが、それは別の問題。編曲があって指揮者がいる。
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とにもかくにも個人的にはシューベルトの歌曲発見。いままでまともに聴いたためしがない。今日のプログラム冊子には、別冊で対訳がついており、ドイツ語と一行ずつ対に書かれてある。ホールの照明がもう少し明るければ見やすかったというのはあるが、親切なプログラムにかわりはない。オペラのように左右に字幕を設けるというのはどうだろうか。サントリーホールのワインヤードでは、その瞬間、バックステージサイドに問題が発生するが、なんとかいい手だてはないものだろうか。それで、
第12曲Einsamkeit孤独
第19曲Tauschung幻覚
第21曲Das Wirtshaus旅宿
あたりが特に心に響く。
全曲を通しで緊張感のまま歌いきるのは並大抵のものではないと思われるが、そのなかで歌う本人の共感がなければ歌に深みは出ないし聴衆への説得力も出ない。出たときに、双方が共感の共有がなされる。音楽とはイメージかもしれないが、共感とは方向を一にすることでありそのときに波はときほぐされて空気振動は感動に変わる。
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ところで前半のモーツァルトですが、意識朦朧というか、後半のシューベルトに備えて熟睡とまではいかなかったものの、全部繰り返す(たぶん)解釈は、かなりコンパクトなオケ編成もあり、変化というものがあまり感じられず、だから熟睡したのではないが(意識朦朧)、今一つの工夫が欲しかった。
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*注
シューベルト/冬の旅
(ハンス・ツェンダーによる新しい編曲の試み)
テノール、ペーター・ブロホヴィッツ
ハンス・ツェンダー指揮
ウィーン・クラング・フォーラム
1994年9月7日(ウィーン、コンツェルトハウス)
1時間33分
NHK-FM放送日1995-5-3
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1時間33分というのが興味深いが、実はほぼ同じ組み合わせで国内版CDがでている。
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ハンス・ツェンダー
シューベルト/冬の旅~創造的編曲の試み
テノール、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ
ハンス・ツェンダー指揮
アンサンブル・モデルン
録音1994年8月1‐5日
ヘッセン放送ゼンデザール
RCA BVCC8883~84
発売1995-9-21
これはCD2枚組で、
50分49秒+35分56秒
となっている。放送録音とだいぶ所要時間が異なるが、放送のほうはライブでありポーズをそのままいれているからだろう。
あらためて聴いてみようと。
おわり
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