河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2501- フランチェスカ・ダ・リミニ、パガ狂、ルガンスキー、クープランの墓、ローマの松、テミルカーノフ、読響、2018.2.16

2018-02-16 23:17:40 | コンサート

2018年2月16日(金) 7:00pm サントリー

チャイコフスキー フランチェスカ・ダ・リミニ  24

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲  24
 ピアノ、ニコライ・ルガンスキー
(encore)
ラフマニノフ 前奏曲 Op.32-5  3

Int

ラヴェル クープランの墓   2-5-4-2

レスピーギ ローマの松  3-7-7-5


ユーリ・テミルカーノフ 指揮 読売日本交響楽団


この御年になって自分の好きなものだけ振るというのはそれはそれでいいと思う。コクや味わいが聴き手と共有できてその思いは遂げられる。それは聴衆からの寄り添いの努力が一層求められるものかもしれない。年寄りの勝手の許容は若い時の実績次第と言ってしまえば身もふたもない話ではあるが、相手の心への作用、モーメントは不思議なものと思わずにはいられない。思わずもニューヨーク・フィルへデビュー(下記リンク参照)して以来、幾度となく聴いてきたテミルカーノフの芸風は定まっているようにみえて、その先に出来そうなことをいまだ保留しているようなところも感じる。可能性の未来を何か抑制しているような感がある。まあ、人それぞれ、聴くほうもそれぞれ、インディヴィデュアルなイマジネーション、妄想かもしれないけれども。

この日は読響との一発公演プロ。好きな作品を4つ並べたものと思う。2曲目にはルガンスキー、この前のチャイコン1に続いての登場。

フランチェスカ・ダ・リミニ、ひたすら下降する音形、地獄に向かうベクトルを表すには最良のものかもしれない。下降させながら音楽は相応な高みに昇りつかなければならない。指揮者の力量無くしてこの曲を聴かせることは出来ない見本のような作品。下降音形波状攻撃地獄メラメラ節。昔、メトでツァンドナイの同名オペラを観たことがあってあれは本物の火を使いまくってリアル感を出していた、あの演奏を思い出すようなテミルカーノフの振り、火がついたオーケストラはこのオケの重心の重さを生かしながらも表情に幅があり色あいの鮮やかさも魅せつけてくれました。ダイナミックレンジも申し分ない。一分の隙もない演奏はこの指揮者のコントロールによるところが大きい。巨大な作品を聴いたという実感。最後はわりと快走でしたね。

ルガンスキーの弾くパガ狂はとっても素敵でした。表現が多彩、変化に富んだピアノが面白くきまっていく。どんどん先に行く。気分もウェットからドライまで色々と変わる。透明なピアノ、オーケストラと張り合う力、どれもこれも素晴らしい。
第18変奏ピアノ入りまでの停滞感はテミルカーノフの技なのだろうか。ピアノは冴え渡ることになりはしたものの。
ルガンスキーのアンコールはサラリとした粋なプレイ、これも素敵でしたね。

ここまでロシア物2曲。後半はうって変わったもので、本当に好きなものを選んでやっているなあと、これあらためて実感する。

小編成になった読響のラヴェルは空中浮遊、色彩感もよく出ていて味なもの。愛すべき佳作ですよとテミルカーノフの両腕。
最後のローマの松、シックな色あい、アッピア街道に出る前までがビューティフルな演奏、ラヴェルの余韻を感じさせてくれたのは指揮者の趣味が表に出てきたのかもしれない。
おわり

0127 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -1-
0128 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -2-
0129 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -3-
0130 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -4-
0131 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -5-

 



2500- 悲劇的序曲、ロンドン、宗教改革、鈴木雅明、新日フィル、2018.2.16

2018-02-16 22:55:05 | コンサート

2018年2月16日(金) 2:00pm トリフォニー

ブラームス 悲劇的序曲Op.81  13

ハイドン 交響曲第104番ニ長調 ロンドン  7-9-4+6

Int

メンデルスゾーン 交響曲第5番ニ短調Op.107 宗教改革
(ホグウッド校訂版第1稿)   11+6+4+2+8


鈴木雅明 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


新日フィルお初登場の指揮ぶりを篤と拝見。作品の大きさ、内面の深さ、指揮とそれに応えるオーケストラの積極性、俄然、三位一体となったもので圧巻。

冒頭の序曲から大きい。劇性の濃い主題が見事に対比。ドラマの展開がエネルギッシュに語られる。テーマの彫が深く力感あふれる。ブラームスも大満足の演奏だったことだろう。揺蕩う主題が弦のうねりの中一体化していく、空気が揺れる。スバラシイ。柔らかく叩きつける品性豊かな鳴り、繰り返される短いアウフタクトにこめた積極果敢なプレイ。お見事な演奏でブラームスの内面が鮮やかに照らし出される。ほれぼれする。聴きごたえありました。

一週間前のシュテンツとのハイドンの哲学者と驚愕、そしてこの日のロンドン。ともにノンヴィブ慣れしたのかストレートな演奏がごく自然ににじみ出てくる。時代性というよりも材料としての活用がこのオケの場合、なにやら継続的なものであるかのような説得力を帯びる。そういったものをデフォ的なバックグランドとさせる鈴木の棒の見事さ、大きなロンドンシンフォニーを聴かせてくれた。激流と清流の鮮やかな交差、ダイナミックな迫力とストレートに流れるソナタは熟成したハイドンシンフォニーを楽しませてくれる。オーケストラル・ピースの醍醐味を満喫。粘土を固めたようなオケサウンドに指揮者の気概を感じる。音が指揮者の体に巻きついているように見える棒は説得力が大きいですね。

メインディッシュはホグウッド版のリフォメーション。スバラシイの一語に尽きる演奏。
まろやかで滑らかなメンデルスゾーン美しい。アンダンテ楽章の下降する涙雨パッセージ、そしてすぐに上昇、この泣き節。短い楽章ながら作曲家の全てを聴く心持となる。鈴木の棒は美しさと愁いを両方ともに申し分なくこってりと聴かせてくれる。泣ける楽章ですな。
そしてそこから終楽章に向かう音の膨らみ、それに音楽の高まり、コラールの高み。絶品な美しさ。新日フィル独特の柔らかみのあるサウンドに力感を与える鈴木の棒は本来のオーソリティな生々しさを感じさせつつも程よい色合いとなり魅力的な音場を醸し出す。この演奏も大変に説得力のあるものでしたね。聴き手としてこのように充実した満足感を得られるとはまさに音楽のよろこび。
オーケストラを一発で手中におさめてしまう指揮者の凄味をあらためて実感。
感激のコンサート、ありがとうございました。
おわり