河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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0130- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -4-

2006-11-30 00:01:00 | 音楽

0130- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -4-

ROCKWELLさんの初日9日の感想がニューヨーク・タイムズに載った。



ニューヨーク・タイムズ
1986年1月10日(金)
Music: Two Philharmonic Debuts
By JOHN ROCKWELL

政治的象徴として、昨晩エイヴリー・フィッシャー・ホールでのニューヨーク・フィルハーモニック・コンサートは目下の重要事項、おそらくより重要な長期にわたる衝撃だ。
その理由というのは、今回フィルハーモニック・デビューをした指揮者ユーリ・テミルカーノフとピアノ・ソリストのニコライ・ペトロフは、昨年11月に調印されたソ連との新たな文化協定のもと、最初に合衆国を訪れた音楽家だからだ。
しかし、演奏会はより真実をおびたしるしであったことが音楽的経験としてあった。
また、この演奏会は、金土火と同じプログラムが続くが、心から推薦するものであると言える。
テミルカーノフ氏とペトロフ氏は自分たちのプログラムを選んだ。それは彼らの力を十分にデモンストレーションするものであった。この演奏会は思慮深く、熱のこもった音楽であった。フィルハーモニック奏者は、今シーズンの最良の反応をしめした。
レニングラードのキーロフ・オペラの芸術監督兼主席指揮者であり、ロンドンのロイヤル・フィルの主席客演指揮者であるテミルカーノフ氏は、客演指揮者として1970年代何度か指揮をした。彼は小柄で、引き締まっており、尊大な人間である。頭を不思議そうに上に向け、聴衆を後ろにして静かに凝視することにより拍手を認識する習慣は、控え目であるような印象を受けるかもしれない。しかし、私には奇妙なアピールのように思える。
昨晩、彼は全プログラムを指揮棒なしで指揮をした。彼は拍子の正確性を決して妨げることのないドラマティックな身振りでレパートリーを展開した。
演奏家の民族的な特質を理解することは、たとえばロシアの指揮者からロシアの情熱を聴くように、うっとりするぐらい簡単である。テミルカーノフ氏はかなり熱気を帯びており、神経質的と思えるほど強烈な種類の音楽の翻訳家である。と言われている。
また、彼の主張は即座に聴きとれさせるぐらい十分な特性の力、テクニックの秘密をもっている。
演奏会の最後の曲シベリウスの交響曲第2番は燃えるような、エキサイティングな、ほとんどチャイコフスキーの情熱のようであって、普通に出会うような威厳的な流れからは乖離したもののように聴こえた、ということをそれは意味していた。同様に、フィッシャー・ホールの幸福なブラスの音響とともに、彼は木管と金管を引き出し、ときに弦の音は豊穣であった。
(記事続く→ -5-)