河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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0128- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -2-

2006-11-28 00:01:00 | 音楽

0128- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -2-

ニューヨーク・タイムズ1月9日の記事。
演奏会初日の日付。演奏前の記事です。




ニューヨーク・タイムズ
1986年1月9日(木)
Russian Set for Philharmonic Debut
By JOHN ROCKWELL

ユーリ・テミルカーノフが今晩、エイヴリー・フィッシャー・ホールの指揮台にのぼる。ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮してデビューすることになる。
しかし、彼は、合衆国を含む国際的なキャリアもつ著名な指揮者として、他のところで途中で放り投げてしまったところでは、再度やり直すことにもなる。(河童注:急な依頼であったため)
テミルカーノフ氏(Tay-meer-KAH-noffと発音)は、レニングラードにあるキーロフ・オペラの芸術監督、チーフ・コンダクターである。彼は、1979年後半の合衆国とソ連の突然の文化交流の中断に因果があった。彼は1980年前半、フィルハーモニックと予定されていた契約と、1980-1981シーズンのメトロポリタン・オペラの契約をキャンセルしなければならなかった。彼はチャイコフスキーのスペードの女王の新演出を振ることになっていた。今晩彼は、合衆国とソ連が昨年ジュネーヴでの新たな文化交流の協定のもとで演奏を行うソ連の最初の音楽家になる。
クラウス・テンシュテットは今週、モーツァルトとベートーヴェンを振ることになっていた。しかし、新たな文化的協定が署名され、フィルハーモニックは、このドイツ人指揮が病気で、約束を満たすことは出来ないようだということを知った。それで、オーケストラの管理監督アルバート・ウェブスターはモスクワにテレックスを打ち、代わりに、テミルカーノフか、モスクワ・ステート交響楽団を率いている有名なソ連の指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーを招聘できないか打診した。
カーネギー・ホールの管理監督であるセイモア・ローゼンがモスクワにいたので、ウェブスターはローゼンに要望をフォローアップしてくれるよう頼んだ。結果どうなったかというと、テミルカーノフはこの時期、レニングラードでオペラを指揮することになっている予定を変更した。そして、彼の友人で、有名なロシアのピアニストであるニコライ・ペトロフをフィルハーモニックのプログラムに共演者として連れていくことにした。今回のプログラムはプロコフィエフの古典交響曲、ピアノ協奏曲第2番、シベリウスの交響曲第2番よりなる予定だ。
(記事続く→ -3-)