2016年3月16日(水) 7:15pm サントリー
シューベルト 交響曲第1番ニ長調 8′7′3′6′
Int
マーラー 交響曲第1番ニ長調 15′7′12′19′
上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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この9月からこのオーケストラの音楽監督に就任する上岡の前振りとでもいえそうな定期公演。プログラムはいずれもニ長調で第1番。相応しいプログラムだと思います。
後半のマーラーの第1,2,3楽章は自然に静寂から音がいつの間にか現れてくる。境目がわからない。この自然さが作為に見えるのはなぜだろう。
第1楽章のチェロの大胆な下降グリサンド強調。かなりの高速な第2楽章、ヴィオラの上昇グリサンドの強調。第3楽章の聴こえないティンパニとベースソロ、中間部も合わせ極弱音に彩られた進行。終楽章の停滞と前進。
全部作為と言えば作為。効果のための効果でないとすれば、何なのかと。作為に疲れる。
良く動く。意識された過度な動きは少々目障り。時として突然どつくような棒、プレイヤーとしてはやりにくいだろう。音楽の滑らかな進行を阻害しているオーバーアクションに見える。
オーケストラは指揮者の意に限りなく沿っていて、ドライブコントロールが効いて、ほぼ指揮者の思い通りの表現になっていたと思います。これは新音楽監督を迎える意思表明みたいなもので、上記色々あるが、これまでとは少し違う、トップの変わり目にみられる新鮮な気持ちを感じました。新興勢力になりそうな気配がありますね。
ドライブコントロールは良くされているが、音の歯切れよさとか、ハーモニーの美しさは取り立てて無く、よく動かすのはそれはそれとしても、こちらのようなことにもっとトレーニング結果を出してほしかったとは思います。これからの大テーマだと思います。オーケストラをブラッシュアップしていくのを期待しています。
指揮者の経歴は素晴らしいものですけれども、この日のマーラーに見られるような解釈には、以前同じく4番で見せた変態解釈を思い出させるようなところもあり、またシューベルトにおける形式感が無意味に崩れていると思うのは、早い話がベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーのような様式音楽を知り尽くし、振りつくしてきた経験の累積の果実としての独自解釈とは聴こえてこないのである。いきなりマーラーで、前提のない棒となっている。それが作為というか、効果のための効果のように感じるところなわけです。
突き詰めて言いますと、例えば、形式ガチなシューベルトを見事なソナタ形式バランスで屈服させて、そのあとのこのマーラー解釈なら、相応な説得力になるのではないのか。一度だけなら音楽の新鮮味を表すものとしてその効果はあるとは思いますが。
収録マイク乱立、小型のカメラもはいっていましたので、後日メディアなどで観たり聴いたりできそうですね。
おわり