2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年8月7日(木)7:00pm サントリー
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バーンスタイン キャンディード序曲4′
チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲20′
チェロ、セルゲイ・アントノフ
(encore)同上、最後の主題1′
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番17′6′12′12′
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佐渡裕 指揮 PMFオーケストラ
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本来マゼールが振る予定だったもの。死去による代振りとなりました。曲目は変更になったのかどうか知りませんが、チケット価格は変更なし。
一曲目に取って付けたかのようにバーンスタインの曲がありますが、もっと前にやらなきゃいけない曲があるだろう!!バッハのアリア、ベト7の第2楽章でもいい。本来振るはずだった指揮者への追悼の念もないのか、君たちには。何を考えているのか!何も考えていないだろう、最低だ。代振りで貸でも作った気になっているのかな。いくら時の流れが速いとはいえ、いかにも、ただただ、消費消化、そんな文化レベルにしか見えない。本当に悲しくなる出来事でした。
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ロココはソロ部分とオケ伴のときであまりにもテンポが違いすぎる。鳴りはいいのでオーケストラは不要かもしれない。
後半のショスタコーヴィッチ、この曲の後、すぐそこに現代音楽が待っているんだよ、響きやバランスはむきだしでいいんだよ、そういった解釈は皆無だということがよくわかりました。時代を開かない解釈です。
オケレベルは昨年のメルクルのときとは異なり、かなり低い。それに、大枚払っている客を差し置いて、自分たちが学芸会のようにはしゃぐのはどうかと思う。金額に値する演奏ではないし、演奏会自体問題の多いものでした。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年8月5日(火)7:00pm ミューザ川崎
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モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 15′9′8′
ピアノ、菊池洋子
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マーラー 交響曲第5番 13′15′17′10′15′
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ダン・エッティンガー 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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このピアニストはお初のような気がします。手が大きく指も長そう。メゾフォルテからメゾピアノの音幅で、気張らず、均質圧力、品のある、いいバランスの演奏でした。ときおり、プロと素人の境目がわからなくなるような感じがありますが、みずみずしい感性をいつも持っている方ととらえたほうがよいですね。独自のバランス感覚を持っているのかもしれません。こうゆうピアノだとモーツァルトの協奏曲、全部聴きたくなります。
伴奏のオケは引き締まっていて、アクセントが気持ち良いビューティフルな演奏、方向感覚が同じく良いのでしょう。
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後半のマーラーは良くも悪くもエッティンガーの大売り出し大セール。結果、中庸っぽくなりましけど。というのも振幅の大きさとかいったあたりの意識がどうも作為的だから。つまり作為的なのがわかる感じなんです。
全部主旋律でオペラ節のような演奏で、やっているほうはオケ含め、気持ちよさそう。そのノリを聴衆に伝播させて欲しい。オケが実力的に際どい部分もありますが、この日は、このホールのお祭りの一環で一発公演。研ぎ澄まされた演奏までには至っていない、むろんレパートリーとしての筆の運びの良さはあるかと思いますが。
それから、エッティンガーはワーグナーをはじめとするオペラの振り手ですが、例えばこの5番の第1楽章と第2楽章を、きっちり明確にショートブリーフを取っていくあたりは、シンフォニックな組立のケースでは形式への意識された行為として好ましく思います。ムーティなども同じですね。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年8月3日(日)2:00pm 東京芸術劇場
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オール・ビゼー・プログラム
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交響曲ローマ 12′6′7′7′
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アルルの女、組曲第1番 6′3′4′4′
組曲第2番 5′4′4′3′
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(encore)
カルメン 前奏曲 2′
アルルの女、組曲第2番よりファランドール 3′
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マルク・ミンコフスキ 指揮 東京都交響楽団
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短いプログラム。都響はどうしてこうも短い演奏会が多いのだろう。方針というような話も聞くが、凝縮して高レベルの演奏をしたいというためであれば、完全な間違い。高レベルな演奏を2時間続けることが出来ないオケととられても仕方がないのではないか。そもそも短くする理由との因果関係が不明確。要改善です。
時間になっても席に着かないメンバーの行為も確信犯的。遅れてバタバタはいってくるのではなく、遅れて整然と入ってきますから。
この日のプログラムなら、シンフォニーの1番をいれて、ちょうどいい長さです。アンコール2曲入れて帳尻合わせするのではなく。
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ローマは快活な1番とは少し異なる。長調ながらもの憂げで思慮深い曲、焦点が今ひとつ見えてこない歯がゆさもある。
後半のアルル1も2もなく、今日みたいにまとめてやればスッキリします。ミンコフスキも2番の3曲目の前に一服入れただけで他は通し演奏みたいな感じでした。それにしても後半のプログラム、淡すぎます。振りに来た本人が一番消化不良なのではないか。
おわり
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2014年7月30日(水)7:00pm ミューザ川崎
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ワーグナー ジークフリート牧歌 18′
ブルックナー 交響曲第7番(ノヴァーク版) 18′20′10′11′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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第1楽章の展開部がコンパクトすぎて、ほとんどスケール感がでてこないのは、提示部における第2,3主題を別物として扱わず一つにしてしまっているため。展開部の進行も同じ解釈。小ぶりな第1楽章で既に解釈の限界が垣間見える。まるで2主題形式のようだ。ブルックナーが2主題のソナタ形式なら、小ぶりにならざるをえない。
また、同楽章のコーダ前の強奏ブラスのリタルダンドはブルックナーのイディオムではないと思う。
第1,2楽章の連結演奏の意味は?第1楽章コーダの余韻を残さず第2楽章にはいる意味は、何を狙ったものかわかりません。
第3楽章スケルツォ部分の第2フレーズ目にトランペットを2本重ねて吹奏させる意味は?物理的な強度の推移以上の何を求めるのか。
全般的にブラスセクションの歌度ゼロ、棒のなせる業。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年7月21日(日)2:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第10番 クック版
*A performing version of the draft for the Tenth Symphony prepared by Deryck Cooke
*デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏会用ヴァージョン
Ⅰ 23′
Ⅱ 12′
Ⅲ 4′
Ⅳ 11′
Ⅴ 22′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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マーラーの10番ですので連日、日参。
印象は前日と同じ。
何度も聴くうちに第4楽章も愛する盲腸、いまだにちょっと引っ掛かる部分はあるものの、散らして聴く。
全般に音色が明るい、それはそれでいいが陰影が欲しい。ストイックな部分や表現がなかなか出てこない。インバルはどこぞのフレーズあたり集中的に攻めてこれでもかと奇襲作戦をする指揮者ではないし、その意味ではスリルとサスペンスでは物足りない。ダークなところが欲しいですね。表現幅が広がると思いますが。
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第5楽章冒頭、太鼓の後、間髪入れず第2楽章の引用の違和感、中間部も同じ第2楽章の引用が長い。見事にぴったり揃った第1楽章のトランペット悲鳴の回帰、お見事。
引用だらけの第5楽章、やっぱりマーラー本人ではないな。あらためて思うものの、同楽章の終結部の現世離れした浮遊感は前日の演奏に増して秀逸でした。浮く感じ。
おわり
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2014年7月20日(日)2:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第10番 クック版
*A performing version of the draft for the Tenth Symphony prepared by Deryck Cooke
*デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏会用ヴァージョン
Ⅰ 23′
Ⅱ 13′
Ⅲ 3′
Ⅳ 12′
Ⅴ 22′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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午前中11時から12時半までオープンリハーサルを観て、それから1時間半後の演奏会。オープンリハーサルと内容的には同じ。あたりまえと言われれば、それはそうですが。
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第5楽章の冒頭の太鼓はバスドラではないんですかね。スコアもってないのでわかりませんが、昔、ザンデルリンク&ニューヨーク・フィルの演奏ではバスドラがティンパニと重ねて叩いていた記憶があります(目と耳の両方の記憶)。強烈な音響でビックリしたのとマーラーの曲かという違和感これまた両方感じた記憶があります。
ラトル&ロスアンジェルス・フィルも聴きましたが、そのときの記憶は太鼓についてはあまりない。また、最近では、金聖響&神奈川フィル、これはポン・ポンという感じでそこだけとれば幻滅でした。都響の演奏はカナフィルモード、深い地獄の淵を覗きこむような深刻さはない。硬質クリアサンドで明るい透明感、録音向きというか昔のコロンビアの録音のような感じ、ワルターのLPはコロ響にステレオ録音が今でいう世界遺産のように連発でなされたわけですけれど、とにかく硬くて高音がキンキン鳴っていました。あれらはおそらく方針で当時廉価盤では絶対出さないという感じでしたが、それなら音をもうちょっと何とかしてくれ、みたいな部分はありました。頑張って聴きましたけれども。都響もあれと同じとは言わないがどちらかというとその傾向のサウンドオケ。深淵の淵が明るく照らされている。
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計測タイミングをみると第3楽章を中心としてほぼ対称形の楽章構成。マーラーの5楽章構成だと7番がありますが、あれが無かったら10番の5楽章発想は無かったような気もします。
7番の第4楽章は出だしこそ夜曲の雰囲気がありますが後半は第5楽章の先取りになってきていて、どちらかというと第5楽章の序奏的な色彩を帯びてくる。
10番の第5楽章はその前までの引用がたくさん出てきて第4楽章だけどうだというのはあまり感じない。ここにこれが置かれる意味合いがよくわからない。むしろ対象軸をもった5楽章構成のこだわりより、第4楽章なくてもいいのでは、という思いが強くなってくるのです。第3楽章のエンディング保持のまま終楽章の太鼓に突入しても違和感なし。もっともただでさえ短いコンサートが多いこのオケ、第4楽章カットしたらもっと大変。
この日の全曲演奏でもコンサートとしては短い演奏会です。集中して出来のいいものを作りたいからという話もあるようですが、それは何かの間違いであってほしいものです。2時間もたないオケとこちらも勘違いしてしまいそうですから。ちょっと話がそれました。
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それから、第2楽章は本当にクック版なのかなと思いました。これまた比べるようなスコアを持っておりませんので耳感覚だけでの話となってしまいますが。
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インバルの表現はクリア、それをオケが明るい音色で全てを照らすのでますます明晰。彼が若い時、フランクフルトの放送交響楽団をこのオーケストラの今の状態で、当時の現代ものをやっていたら最高だったろうな、ふと思いました。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年7月20日(日)11:00-12:30 サントリー
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オープン・リハーサル
マーラー 交響曲第10番 クック版
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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都響会員さんの好意によりリハーサルをのぞかせてもらいました。曲とか出演者に強く興味がある時は行ってもいいかなと思いますが、普段エンタメの裏側をみることはありません。何度か述べているバックステージものがあまり好きでないのと同じです。今回は曲に興味があり見ることにしました。
午後から本番で、午前中に最後の仕上げで曲をなぞるだけ、全曲演奏時間とあまりかわらない1時間半、インバルは立ちっぱなしでやっていました。午後から本番でまた同じように振るわけですから結構な体力が必要ですね。
ほとんど止めずに振っていましたけれど、止めて何か指示するときも角度のせいかなにをしゃべっているのかよくわからない。RB席あたり斜めからの眺めでしたがこっちを見ているわけではないのでしょうがないところもあります。それに普段からこのオケを掌握していると思われるので薀蓄含蓄みたいなセリフもないと思われ、突き詰めるとこちら側としては午前午後1回ずつ演奏会を聴いたような感じでした。
このオケの硬質で明るい音色がこの曲のイメージを変えてくれるようなところがあり、ドロドロ感がない。比較的スッキリした響きと耽溺しないフォルム、これだと第4楽章はなくてもいいのではないか、第3楽章からそのまま第5楽章の太鼓の強打にいってしまっても違和感が、個人的には、まるで無いと思う。第3楽章を対象軸とした曲といった講釈より日常的に愛着のある4楽章構成の進行形態のほうがふさわしいような気がしました。
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マーラー10番全曲盤 河童ライブラリー(ver 0.1)
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リヨン久しぶりに聴きます。このオーケストラの特質から言ってスラットキンご指名は自然な選択なのかもしれない。最初は違和感ありましたけど。都市指揮者がローカルへ、みたいな違和感ですね。
最初のマザーグース、リヨンのサウンドは硬くてキラキラしていて、以前のパリ管のような響き。ビブラートはパリ管ほどではない。
弦の音場は正三角形ではなく縦に長い直方体のおもむき。明晰サウンド。
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この日一番楽しみにしていた2曲目のラヴェル、小菅さんの自由奔放な演奏は好み。自由奔放そうに見える演奏、一点の曇りもない、最高。
第2楽章の美しく優しい音楽、これ以上ないビューティフルな演奏、息をのむような美しさでしたね。かなりゆっくり目に弾いた濃い演奏の楽章でした。
第3楽章のような音楽は、伴奏パートのことですが、スラットキンは一つずつの音をやつさないで明確に同じ長さでクリアに鳴らす。これは現代もの得意系の指揮者なら余計にこういったあたりのことをしらみつぶしに実行させる。心地よい正確さなのです。
それに小菅の粒立ちがよくてキレのあるピアノが颯爽と流れるので、シナジー効果でこれ以上気持ち良い響きは無いなぁ、という感じになってしまう。切れ味最高の演奏。
最後の万歳フィニッシュは紗良アクションとそっくり。そういえば、ミュン・フン・チュン、フランス放送、紗良、の演奏会はこの日と同じ曲目でした。
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後半のサンサーンス、このホールのパイプオルガンがヴェールを脱いだのをはじめてみました。宇宙人の目玉のようなユニークで迫力のあるもの。響きがまた素晴らしい。大伽藍に響く圧倒的なパイプオルガン、弾くのは初音ミク風なオルガン美人。オルガン右サイドにはモニター、左はバックミラー。これらで指揮者を見てる。なんだか、宇宙に出て行って聴いているような現実感の無さがとっても心地よかった。
スラットキンはオーケストラに一滴まで音を正確な長さで出させる。だからクリアで、スーッと浮いて漂うな響き、むろん現代音楽をやったらこれ以上ない響きでおそらく圧倒されるに違いない。N響を振ってる姿は本当ではない。才能を認められているに過ぎなの。したいことは別のワールドですよ。良かったです。
それにしても、オルガン付きの第1楽章て何度聴いても、アズナブールの枯葉よーの節ですね。
おわり
1664- マーラー10番全曲盤 河童ライブラリー(ver 0.1)
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2013-2014シーズン
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2014年7月12日(土)4:00pm サントリー
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モンテヴェルディ オルフェオよりトッカータ 1′
デュティユー コレスポンダンス 20′
ソプラノ、谷村由美子
ベルリオーズ 序曲海賊 8′
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プッチーニ 交響的奇想曲 13′
プッチーニ マノン・レスコーより第3幕への間奏曲 5′
ストラヴィンスキー プルチネッラ 20′
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広上淳一 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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ネットで67分、CD1枚分ぐらいの演奏会、曲の広がりもモンテヴェルディからプッチーニまで、デュティユーからストラヴィンスキーまで、こうゆう演奏会の日があってもいいですね。リラックスして聴ける。
ベルリオーズの海賊は思いの外、柔らかかった。オーケストラの精度も少し増したような。この指揮者踊らないとオケの精度があるのかもしれない。
それとこのオーケストラは指揮者からのスタンディング指示に極端にスローな反応を見せる団体ですが、広上さんだとすんなり立つ。立たせ方うまいですね。
指揮者も今日みたいにあまり踊らず、本番においても的確な指示が出来ればやるほうも安心してプレイできるというものだろう。当然、精度も高くなる。レンジ幅もあり、全体的に余裕が感じられ、ぎすぎすしないいい演奏会でした。これからも踊り厳禁でお願いします。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年7月9日(水)7:00pm 東京芸術劇場
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三善晃 編曲/鈴木輝昭 管弦楽編曲
混声合唱とオーケストラのための「唱歌の四季」
朧月夜 2′
茶摘 3′
紅葉 2′
雪 2′
夕焼小焼 3′
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メンデルスゾーン 交響曲第2番「讃歌」27′ 44′
ソプラノ、林正子、市原愛
テノール、西村悟
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武蔵野合唱団
山田和樹 指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
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このオーケストラで首席客演指揮者というのはどの程度のウエイトを占めているのかわかりませんが、本格的な凱旋帰国という話ではないでしょう。ただ、このような日本向けの曲種をやったり、また、よく統率がとれているあたりをみると相応に掌握しているのだなということは言えると思います。オーケストラの反応もよく、好感をもって迎えられているように見えます。
スイス・ロマンドは昔のスイス・ロマンドではない。スキルベースでの向上はこのオーケストラ特有のものではなく、今の時代の一般的な機能性向上を反映しているに過ぎない。その意味においてだけ昔のこのオケではない。
だから耳を傾けるべきは別のところにある。明るくて明快で、弦がやんわりとメロウに溶け込むことはない。少し硬めで個別のインストゥルメントがその個別のまま因数分解されて鳴る。黙っていても現代の音楽をやれば、それなりの説得力を持ってしまう、といった趣きで、極端に言うと昔のアンセルメのまま、古いものが残留しているのではなく、古くて新しい、なにか聴いたことがあるような独特な響きに、過去を振り返るのではなく、前進性を感じるといった妙に新鮮な心持ちとなった。
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三善の唱歌の四季。指揮者が思いをこめる、それを通り越して自ら感動に打ち震えているように見受けられるところもありそのあたりどうかなという部分はあるものの、みんな自国愛の思い出しのときがあってもいいのだろう。合唱が入っているためか全体の響きは柔らか模様で、深く彫りこむより流れる感じ、いい唱歌でした。遠い昔のことをふつふつと思いだしました。ありがとうございます。
この日は、サイドの席で聴きましたが、響きはよくありません。いいと言っておきながら言うのも変ですが、ティンパニ、太鼓系の音が風呂場の中で聴いているような緩んだ音になってしまっていて、例えばサントリーで聴くと前後左右このようなふやけた音がする席は少なくとも比べる限りにおいてはありません。失望、幻滅の席でした。
山田の棒はそれほどドラマチックなものを求めておらず、この曲の合唱に相応しいもので、失望幻滅の席ながら相応に聴くことが出来ました。
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後半、久しぶりに聴いた讃歌。あらためて味わい深い曲と思いました。シームレスに流れる讃歌の美しさに圧倒。例のトロンボーンの節が全体フレームを形作ります。最後まで緩むことの無かったオーケストラと合唱。
満員の盛況の中、ギャアギャア騒ぎ立てる客もいず、少しずつそして大きくいい拍手でした。合唱団からオーケストラメンバー個々へのブラボーや頑張ったコールは素人のなせる業で客席から見たら必ずしもいい光景ではなかったものの、気持ちだけは汲んでおきます。次回はオケ、合唱団ともにプロとして客は観ている、そういう認識でお願いしたいと思います。
おわり
讃歌14型
1659-≪独立宣言238年 自由の女神128年≫2014.7.4、and NYP 172年
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ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。
昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天までとどくビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。
アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭りのとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂がニューヨークに流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。
バッテリーパークでのお祭りは、ウォールストリートから近いこともあり会社が済んでから行ってみた。空母の巨大さはアンビリーバブル。あとはジャンクフードと自由の女神オブジェを頭に乗せ、ビールで酔った。
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ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと172年。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。
指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。例えばギュンター・ヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じたい。
作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。Too ripeした音楽はどこへ向かっているのであろうか。
(**ストリート、年、などは記憶だけで書いています)
**
掲載写真は約100年前のもの。トリニティーチャーチを南西方向から。
チャーチ先の左から右にある道路がブロードウエイ(左がアッパー、右はバッテリーパークへ。チャーチ先から奥への道路がウォールストリート。手前の広場は予約待ちが地面に重層しているらしい著名人の墓たち。)
(RV3)
1658- ベンジャミン、曙光、リンドベルイ、ウア、グリゼイ、周期、クセナキス、ジャロン、板倉康明、東京シンフォニエッタ2014.7.3
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2013-2014シーズン
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2014年7月3日(木)7:00pm ブルーローズ、サントリー
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ジョージ・ベンジャミン 曙光 20′
マグヌス・リンドベルイ ウア 14′
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ジェラール・グリゼイ 周期 14′
ヤニス・クセナキス ジャロン 16′
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板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ
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全部知らない曲、例によって曲ごとの配置換えに時間がかかる現代音楽、これはどこのオケでも同じ。正味の演奏時間は短いものです。
そもそも自然界に逆らっているというか、馴染まない曲が多い現代の音楽ですから、1曲の時間そのものが短い。長く出来ない。構造を作れないと換言してもいいかと思います。ストーリーのあるものは金がかかるのでこれまた出来ない。問題だけ浮き彫りになるようなところもありますが、そんななかでこのように時代の音楽を続けていくというのは、並大抵のことではないと思われ、その努力に頭が下がります。
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ベンジャミンの曙光、音が何やら底の浅い濾過装置の上の方で音が飛び跳ねる感じ。
リンドベルイのウア、編成はvn, vc, cb, cl, bscl, 電子楽器。なんというか、機械の主音ではなく副音(派生音)のきしみで鳴っているようなところがあり、音楽とは少し違うかもしれない
グリゼイの周期、演奏の中に演奏者によるジェスチャーが入り込むという面白い動きあり。
クセナキスのジャロン、クセナキスが聴いていて1番安心するという妙な気持、時代は流れていく。
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以上、短い曲が4曲、1曲あたり千円の4千円コンサート。
プレイヤーのスキルレベルが高い演奏でした。クセナキスは小型オケサイズに膨れるが、響き自体はむしろこじんまりとした印象。概ね満足。
今の時代音楽は甘くていまいちなのが多いですが、今日のコンサートの時代音楽はみんな何か機械油のようなものを求めて鳴っている。生きたエネルギーを感じる曲でした。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年6月29日(日)2:00pm サントリー
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ブラームス ピアノ協奏曲第1番 23′13′13′
ピアノ、ポール・ルイス
(encore)シューベルト アレグレット ハ短調D915 4′
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ブラームス 交響曲第1番 14′9′5′17′
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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前半から後半へ振幅の大きい演奏会でした。
前半のコンチェルト。
まずオーケストラが最高。吠えるティンパニ、地を這うモノローグ風味の弦、ビロードのようなピッチ揃いの管。長い長い提示部、ピアノが待ち遠しいというよりこのまま行ってくれ、そんな感じのエネルギー放射のオーケストラでした。
そして、オケに導入されたピアノのこれまたなんという充実度。ルイスは確信的な弾きで正しい音価、正確な長さと圧力、バランスしたハーモニー、ステンドグラスのような響き。素晴らしい。
オーケストラの重みと風格のある素晴らしい伴奏というにはもったいない充実サウンドの中、ルイスはそれに調和して、かつ堂々と渡り合う。圧倒的。
ブラームスのこの協奏曲のしっかりした構造があればこその名演ではありましょうが、とにかく、ふーとうなりたくなるようなアドレナリン全開の両者でした。
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後半はちょっと小ぶりになり、いつも通りの演奏に戻ったなという感じ。このシンフォニーも大作ではあるのですが、協奏曲と雰囲気がだいぶ異なる。曲の大きさの受け止め度が違うのではないか。もっと大きなスケール感が欲しいところ。
ギクシャクとしないのはフレーズを伸ばし切るハーディングの指揮のためか印象的ではある。
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ハーディングによるブラームス・サイクルのシンフォニー、4番が一番充実していたと思います。2番3番は今一つで、1番はもう一つ。
あと、気になるのかすぐハーディングと抱き合う個人的なお仲間風なモジャモジャコンマス。このオケが本格的な演奏スタイルを常々目指しているのなら、合わない。
そりこみコンマスさんのほうが演奏に落ち着きが出ています。
なんで、二人コンマスがいるのかわかりませんが、他オケも含めここはアメリカ方式を見習い一人にしてはいかがでしょうか。
オーケストラの意見集約をはかり、指揮者の意図を伝播させる。複数いることによるそれらが効率よくやられない。または時間がかかる。ユニオンの強いアメリカでは効率の良い一人コンマス体制のほうが理にかなっているのはよくわかる。日本の場合、そうではないのかもしれないが、複数のメリットはあるのだろうか。責任分散なのかな。体力軽減ではないでしょう。ニューヨーク・フィルにこの前までいたディクテロウは30数年にわたりシーズン200回以上一人でコンマス続けていましたしね。
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1654- グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィル2014.6.28が最後の、
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1人コンマス「和」奏でます。岩崎潤 ナッシュヴィル交響楽団
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おわり
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月28日(土)2:00pm サントリー
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シベリウス 夜の騎行と日の出 15′
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マーラー 交響曲第6番 悲劇的 25′14′17′30′
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ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
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マーラーは大きな曲だがインキネンはきっちりもう一曲やる。昔風というより音楽への誠意、客への配慮を感じる。
シベリウスの曲は同じリズムが続き、時として煩わしさを感じるが、インキネンは刻みのリズムとは別にメロディーラインを丹念にすくい上げている(席が近いのでよくわかる)。
透徹美を強調するというよりはバランス重視です。ギザギザ進行している中に息をするようなラインが浮かび上がってきます。これはこれで味わい深い。愛着を感じているのを聴くことが出来ます。
曲の残り香のなか、近場でいつものしったかりぶりのフライング気味ブラの迷惑行為、これ、しったかぶりが癖に変化してしまっていて喉と耳が同化してしまっているのでしょう。注意しても理解できないというパターンのおじちゃん。同じようなケースでは、最後の音が鳴り響く中、拍手用の両手をセットアップし、終了寸前のところでパチパチ開始、冬場にこの癖の人の臨席に座ったことがありますが、なんて注意すればいいかわかりませんでした。知っている曲にはすべてこの癖が出ると思います、知らない曲ならこのパチパチのために予習してきていそうな感じ。
無くて七癖。他人にケチをつけるだけではお互いダメでしょうね。わが身を振り返る。この人に咳がどうにかならないか注意されましたから。
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後半のマーラー、終楽章で3回ハンマーが打たれます。自分の記憶では初めての遭遇ではなく、昔はハンマー3回の演奏会を何回か聴いた記憶あります。
オーケストラにとっては厳しい曲ですけれど、インキネンの表現というのは概ね気張らず自然な流れ。策を凝らした意味の無いいじりとは一線を画す品のあるものです。
このオーケストラにありがちな力任せ、気張ったところ、そのようなものが奥に引っ込みサラッとした肌触りが感じられる。ブレーキ色の無い演奏で、例えば、
第4楽章で徐々に上り詰めていって最後の劇的なエンディングにいたるところも、流れが自然で滑らか、ドラマティックなものをことさら強調するという話でもない。
巨大な曲ですがパースペクティブや派手さよりも、メロディーラインや構造を浮き彫りにした佳演でした。含み味が濃く長い演奏となりましたが一つ一つかみしめて聴くことが出来ました。久しぶりに騒がしくない6番でした。
ホルン群の幅広音で全体を包み込む安定感、ベースは切れ味が必要、チェロはもっと音が欲しい、最後のブラス強音パンパカパーのところで少しこんがらかってしまったのは体力不足か、など、もっとスキルの底上げが必要なのは言を俟たないが、全体表現には概ね満足しました。
ありがとうございました。
おわり