『東方学報』44、1973年2月、219-232頁。
岩間一雄氏の『中国政治思想史研究』(未来社 1968年)における批判への再批判。ここでの紹介からうかがわれるかぎり、岩間氏の批判も相当感情的であったと思われるが、島田氏の返答もちょっと驚くほど感情的である。岩間氏の学説を「異様」などと呼んでいる。
それより、同論文における引用から、王陽明の「公」に関するある興味ある用例の存在を教えられた(同227頁)。
王陽明『伝習録』 中 「答羅整菴少宰書」 (以下の引用は
維基文庫より)
執事所謂「決與朱子異」者,僕敢自欺其心哉?夫道,天下之公道也,學,天下之公學也,非朱子可得而私也,非孔子可得而私也,天 下之公也,公言之而已矣。
(島田虔次訓読、注釈)
執事〔=羅整菴〕の所謂〔僕の〕決して朱子と異なる者は、僕敢えて自ら其心を欺むかんや〔=まさしく仰せの通りでいまさら強弁しようとは思わない〕。夫れ道は天下の公道なり,學は天下の公學なり。朱子の得て私すべきに非ざるなり,孔子の得て私すべきに非ざるなり。天下の公なり、之を公言せんのみ。
ここに見える「公」には、倫理的(正確に言えば儒教的)な意味はほとんど入っておらず、たんに「皆の」「おおっぴらの」、もしくは現代風の言葉を使えば「公共の」という意味である。だから朱子だけでなく孔子も「得て私すべきに非ざるなり」となる。「公道」=公共の価値、「公学」=皆が学ぶことの出来る学問、「天下の公」=この世の誰ものもの、「公言」=皆へおおっぴらに公共の場で発言する。