『梅氏暦算全書』所収『暦学答問』所収。
そこに、「暦也者数也。数外無理、理外無数。〔略〕数不可以憶説、理或可以影談」とある。「理」が徐光啓と同じく(あるいはその用例を踏襲して)数理あるいは形式論理を意味していることが分かる。ただそれは、倫理と分離したものではなく、朱子学的な、倫理と物理の連続したあるいは融合したそれの、あくまで一部分として捉えられている。それはこの直前及び直後の記述から窺える。このことが、逆に遡って先達である徐光啓もまたそうであったかどうかについては、まだ審らかにしない。
そこに、「暦也者数也。数外無理、理外無数。〔略〕数不可以憶説、理或可以影談」とある。「理」が徐光啓と同じく(あるいはその用例を踏襲して)数理あるいは形式論理を意味していることが分かる。ただそれは、倫理と分離したものではなく、朱子学的な、倫理と物理の連続したあるいは融合したそれの、あくまで一部分として捉えられている。それはこの直前及び直後の記述から窺える。このことが、逆に遡って先達である徐光啓もまたそうであったかどうかについては、まだ審らかにしない。