面白かった。著者の曾孫慶曾による年譜付き。それによれば銭は26歳のとき梅文鼎の著書に出会い、寝食を忘れて読み耽ったとある。そして暦算(天文および数学)の原理と技術を習得したという(従容布算、得古今推歩之理)(21頁)。
巻三「天即理」の項で、天即ち理ならば人が天に祷って理に祷らないのは何故かと先ずきつい一発をかまし、ついで『詩経』の「大雅」に「敬天之怒」「敬天之渝」とあるが理は怒ったり変動したりするのかあり得ないと宋儒の思想の基礎を衝いている。理は天則より出ずと言うなら解ると(49頁)。
この人はどうも宋学がかなり嫌いだったようで、巻十八「清談」では、清談は「心を空虚窈遠の地に馳す」とその中身と根拠のなさを貶したあと、これは清談の話で宋学とは関係がないのに、「昔の清談は老荘を談ず。今の清談は孔孟を談ず」と、顧寧人(炎武)の言葉をわざわざ割注で挿んでいる。さらには彼は王安石の王学も嫌いだったらしく、割注のあと、本文に戻ってまで「亦た清談也」とつづけて書き記している。完全な脱線である(434頁)。
(上海商務印書館1937年版、上海書店出版1983/12復刻)
巻三「天即理」の項で、天即ち理ならば人が天に祷って理に祷らないのは何故かと先ずきつい一発をかまし、ついで『詩経』の「大雅」に「敬天之怒」「敬天之渝」とあるが理は怒ったり変動したりするのかあり得ないと宋儒の思想の基礎を衝いている。理は天則より出ずと言うなら解ると(49頁)。
この人はどうも宋学がかなり嫌いだったようで、巻十八「清談」では、清談は「心を空虚窈遠の地に馳す」とその中身と根拠のなさを貶したあと、これは清談の話で宋学とは関係がないのに、「昔の清談は老荘を談ず。今の清談は孔孟を談ず」と、顧寧人(炎武)の言葉をわざわざ割注で挿んでいる。さらには彼は王安石の王学も嫌いだったらしく、割注のあと、本文に戻ってまで「亦た清談也」とつづけて書き記している。完全な脱線である(434頁)。
(上海商務印書館1937年版、上海書店出版1983/12復刻)