『日本思想大系』59「近世町人思想」所収、中村幸彦校注、同書365-376頁。
この『六諭衍義大意』のもととなった『六諭衍義』は、琉球の文人・政治家程順則が中国から琉球へと持ち帰り、ついで薩摩藩経由で幕府へ進上されたものである。時の将軍吉宗が室に命じて日本語訳させた。日本ではこの書はのち、維新後『教育勅語』に至るまで影響を及ぼすが、元々もたらされた琉球では、形を変えて蔡温の『御教条』の重要な構成要素になった。
この書と沖縄との関係について、とても興味深いのは、いわゆる琉球の五偉人(麻平衡・向象賢・程順則・蔡温・向有恒)のうち程・蔡と、その二人までが成立の背景とその後とに関わっていることである。蔡は、おのれの推進した琉球の政治改革の過程で『御教条』を編んだ。蔡の政治改革には、彼の政治家としての先輩にあたる向象賢のそれが大きく影を落としているから、間接的には向もここに入るといっていい。だとすれば三人である。
(岩波書店 1975年11月)
この『六諭衍義大意』のもととなった『六諭衍義』は、琉球の文人・政治家程順則が中国から琉球へと持ち帰り、ついで薩摩藩経由で幕府へ進上されたものである。時の将軍吉宗が室に命じて日本語訳させた。日本ではこの書はのち、維新後『教育勅語』に至るまで影響を及ぼすが、元々もたらされた琉球では、形を変えて蔡温の『御教条』の重要な構成要素になった。
この書と沖縄との関係について、とても興味深いのは、いわゆる琉球の五偉人(麻平衡・向象賢・程順則・蔡温・向有恒)のうち程・蔡と、その二人までが成立の背景とその後とに関わっていることである。蔡は、おのれの推進した琉球の政治改革の過程で『御教条』を編んだ。蔡の政治改革には、彼の政治家としての先輩にあたる向象賢のそれが大きく影を落としているから、間接的には向もここに入るといっていい。だとすれば三人である。
(岩波書店 1975年11月)