goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

檀上寛 「明代朝貢体制下の冊封の意味 日本国王源道義と琉球国中山王察度の場合」

2013年11月19日 | 東洋史
 『史窓』68、2011年2月、163-186頁。

 「朝貢国」と「冊封国」が概念・実体双方において別個の存在であることを事実に徴して示すことにより、結果的に、西嶋定生氏の中華帝国冊封体制論の全否定と、坂野正高氏による一元的体制としての冊封関係不存在説への支持となっている。まあ、同じ著者(西嶋氏)の「中国古代帝国の一考察 漢の高祖とその功臣」(『歴史研究』141、1949年)同様、初めて出た時から多くの研究者は「あれはダメだ」と、口には出さね思っていたと思うが。

志筑忠雄 『求力法論』

2013年11月19日 | 自然科学
 中山茂/吉田忠校注、日本思想大系『洋学 下』(岩波書店、1972年6月所収、同書9-52頁)

 途中、原著にない彼独自の内容補足が(おそらくは自分の文体と論理からみて脱けていると思われた部分に)あったり、陰陽五行と結びつけて解釈しようとしたりする、これはのちの『暦象新書』にも見られるところの、翻訳という性質から言えば不必要どころか有害な補論があったりするが、翻訳としては極めて正確である(テキストの校注者が内容についてはほとんど誤りを指摘していないことから)。
 志筑は、この訳書で、原理を「辨識」、物理学を「格物学」と訳している。さらに自然法則および形式論理を「理」、幾何学を「度学」としている。

 度学ハ格物学ノ本タリ、数ト理トヲ重ンズ。(第二十七按)

 もっともこれは原著者カイルの言葉である。福澤諭吉の『福翁自伝』における、「元来わたしの教育主義は自然の原則に重きを置いて、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営はすべてソレカラ割り出して行きたい」、「東洋になきものは、有形において数理学」を思い起こさせる。

 追記。この文章を書いた後、『大人の科学』の「WEB連載 江戸の科学者列伝 志筑忠雄」を読んだ。たいへん参考になった。