'3. China's Kazaks, 1912-1949'。おかげでオスマン・バトゥル Osman Batur のことがすこし解ったと思う。
11月25日付記。
東トルキスタン共和国亡命政府のウェブサイト(日本語版)に「チュルク人世界研究基金がオスマン・バトゥル記念会を開催した」という記事があるが、 そこには、こう書かれている。
オスマン・バトゥル(カザフ族、1889年~1951年)はアルタイ山の英雄の子孫である。強い信念と不屈の精神を持ち、中国共産党侵略者と ロシア共産党侵略者の悪行を憎み、東トルキスタンの解放と独立の為に身を捧げた。
文中、ロシア共産党ではなくてソ連共産党であることを別にしても、この説明はいかがなものか。オスマン・バトゥルは、その理由や背景はさまざまに解釈・推測されるとはいえ、1946年以降、東トルキスタン独立運動(少なくとも共和国側)からは距離を置き、それどころか敵対している。
( M E Sharpe Inc., Apr., 1998)
11月25日付記。
東トルキスタン共和国亡命政府のウェブサイト(日本語版)に「チュルク人世界研究基金がオスマン・バトゥル記念会を開催した」という記事があるが、 そこには、こう書かれている。
オスマン・バトゥル(カザフ族、1889年~1951年)はアルタイ山の英雄の子孫である。強い信念と不屈の精神を持ち、中国共産党侵略者と ロシア共産党侵略者の悪行を憎み、東トルキスタンの解放と独立の為に身を捧げた。
文中、ロシア共産党ではなくてソ連共産党であることを別にしても、この説明はいかがなものか。オスマン・バトゥルは、その理由や背景はさまざまに解釈・推測されるとはいえ、1946年以降、東トルキスタン独立運動(少なくとも共和国側)からは距離を置き、それどころか敵対している。
( M E Sharpe Inc., Apr., 1998)