『季刊日本思想史』47、1996年、同誌115-133頁。
ケンペル著の原題は、「今の日本人が全国を鎖して国民をして国中国外に限らず敢て異域の人と通商せざらしむる事実に所益なるに与れりや否やの論」である由。この題から分かるように、原著はきわめて論争的(イエス・ノーを争うディベート的)な体裁と内容である。ケンペルは一般論として鎖国を否とし、ただし日本の置かれた内外の諸情況(元禄時代のそれ)を鑑みて、開国の必要なしとして個別例外的に是とした。
これを志筑忠雄は、最初の否の部分を改変し、邪教を掲げた異人の侵略から我が国を護るために必要のみならず積極的な善であったという論旨に変えた。さらに開国は害をもたらすという自身の主張を訳文中にひそかに書き入れた。また、原著にある日本と日本人を賞賛する部分を誇張する一方(ここでも自分の主観的な賛美の言を本文の中に潜り込ませている)、著者の事実的な間違いや批判には、いちいち長文の注を付けて執拗に訂正をほどこし(それは必ずしも客観的なものではない)、かつ、感情的な反発の言を書き連ねた。それは、原著者のケンペルを「戎狄」と呼ぶほどのものである。
つまり志筑は、翻訳者としておのれの本分を尽くさず、それどころか逸脱した。「愧じよ」と、言いたい。
ケンペル著の原題は、「今の日本人が全国を鎖して国民をして国中国外に限らず敢て異域の人と通商せざらしむる事実に所益なるに与れりや否やの論」である由。この題から分かるように、原著はきわめて論争的(イエス・ノーを争うディベート的)な体裁と内容である。ケンペルは一般論として鎖国を否とし、ただし日本の置かれた内外の諸情況(元禄時代のそれ)を鑑みて、開国の必要なしとして個別例外的に是とした。
これを志筑忠雄は、最初の否の部分を改変し、邪教を掲げた異人の侵略から我が国を護るために必要のみならず積極的な善であったという論旨に変えた。さらに開国は害をもたらすという自身の主張を訳文中にひそかに書き入れた。また、原著にある日本と日本人を賞賛する部分を誇張する一方(ここでも自分の主観的な賛美の言を本文の中に潜り込ませている)、著者の事実的な間違いや批判には、いちいち長文の注を付けて執拗に訂正をほどこし(それは必ずしも客観的なものではない)、かつ、感情的な反発の言を書き連ねた。それは、原著者のケンペルを「戎狄」と呼ぶほどのものである。
つまり志筑は、翻訳者としておのれの本分を尽くさず、それどころか逸脱した。「愧じよ」と、言いたい。