「四 教育制度論と咸宜園教育」にある咸宜園の教育カリキュラムを見てみると、漢籍で暗記を必須とされたのは『蒙求』と『十八史略』だけで、あとは素読と講義のみである(四書五経とその注釈)。面白いことに『荘子』『菅子』『墨子』まで講義されている(343頁)。驚くべき事にここでは数学や天文学、医学まで教えていた。医学は広瀬自身がもと医者志望だったから解らないでもないけれども、それにしても儒学塾としては異端である。大村益次郎が適塾に往く前に咸宜園で学んでいたことは知っていたが、そういうことだったかと納得。高野長英も此処に籍を置いていた由(ただしこれについては異説もあるとのこと)。
11月13日追記。
1. 広瀬淡窓の敬天論は、因果応報(天命)といった天人感応説に近いところもあれば(ただし淡窓は災異だけに感応の対象を限った漢儒の説を狭隘なものとして批判している)、一方で天を人格神に近い捉え方をしていたりして(田中加代氏は『書経』の天の観念に基づくものだと言うのだが)、把握しづらい。
2. ウィキペディア「広瀬淡窓」項に、彼の敬天論につき「朱子学においては『天』と『理』は同じものであるが、淡窓の考える『天』は『理』とは別の存在であり、『理』を理解すれば人間は正しい行いをして暮らすことができる、しかしその『理』を生む『天』は理解することができない、とする」という指摘があった(同項注2)。
この天と理の認識における分離は、銭大が『十駕斎養新録』で述べたところのものである。広瀬は銭よりも後の人である。広瀬は銭の著を読んだことがあるのかどうか。
(ぺりかん社 1993年2月)
11月13日追記。
1. 広瀬淡窓の敬天論は、因果応報(天命)といった天人感応説に近いところもあれば(ただし淡窓は災異だけに感応の対象を限った漢儒の説を狭隘なものとして批判している)、一方で天を人格神に近い捉え方をしていたりして(田中加代氏は『書経』の天の観念に基づくものだと言うのだが)、把握しづらい。
2. ウィキペディア「広瀬淡窓」項に、彼の敬天論につき「朱子学においては『天』と『理』は同じものであるが、淡窓の考える『天』は『理』とは別の存在であり、『理』を理解すれば人間は正しい行いをして暮らすことができる、しかしその『理』を生む『天』は理解することができない、とする」という指摘があった(同項注2)。
この天と理の認識における分離は、銭大が『十駕斎養新録』で述べたところのものである。広瀬は銭よりも後の人である。広瀬は銭の著を読んだことがあるのかどうか。
(ぺりかん社 1993年2月)