『東方学報』41、1970年3月、同書467-489頁。
毛沢東の「体育之研究」(『新青年』3-2、1917年)を冒頭持ち出して、顔元のことは毛沢東も誉めているのですよと、いわば"掴み”にしているのは時代か。
顔元は興味深い人物だと思うが、あの極端なまでの朱子学攻撃、書斎主義・観照主義の否定、実践の重視および経書の軽視には、どこか王学の名残が、というよりも、そこから継承されたなにごとかがあるように思える。小野先生は完全な断絶をそこに見ておられるけれども。
毛沢東の「体育之研究」(『新青年』3-2、1917年)を冒頭持ち出して、顔元のことは毛沢東も誉めているのですよと、いわば"掴み”にしているのは時代か。
顔元は興味深い人物だと思うが、あの極端なまでの朱子学攻撃、書斎主義・観照主義の否定、実践の重視および経書の軽視には、どこか王学の名残が、というよりも、そこから継承されたなにごとかがあるように思える。小野先生は完全な断絶をそこに見ておられるけれども。