書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

司馬遼太郎 『国盗り物語』 (二) から

2010年08月28日 | 抜き書き
 しかし四十を越えると、妙なことがある。他人(ひと)さまを平気できらいになってしまう。他人だけでなく、自分をふくめて、どれもこれも少しづつ峻烈(しゅんれつ)に気に入らなくなってきた。
 いやな男に出会ったときなど、そのときの自分の如才ない態度などを思いあわせて、三日も四日も不愉快で、一ヵ月たってもなにかの拍子にそれを思いだすと、なにをするのもいやになり、あの一日だけ死ねばよかった、とおもうほどである。
 むろん、憎悪だけでなく、愛情も強くなるようで、どうも四十を越えれば自制心のたががゆるみ、愛憎ともに深くなりまさるものらしい。 (本書312-313頁)

 原文では、このあと「庄九郎も、この齢、たががはずれはじめている」と続く。自分に刃向かった主君の息子(土岐頼芸の嫡子頼秀)を、合戦で打ち破っただけでなく、“攻めほろぼしてやる”と決心し、そのとおり実行したことを指す。
 この説は当たっているような気がする。私の場合、五十を迎えて、この種のたががはずれたようだ。感情の表出が、それまでと比べ、苛烈になった。
 昔の人(司馬氏も含めて)の四十歳と、私もその一人であるところの現代人の四十歳は違うだろう。現代人の成人は三十歳だとよくいわれる。自分の経験に照らしてもそれは正しいと思う。とすれば、いまの人間の自制心のたががはずれるのは五十歳、ということになる。 
 ところで、そのたがだが、自然自然(じねんじねん)にはずれるわけではない。この小説における庄九郎もそうであったように、最終的には自分がはずしたものである。自らが、はずそうと思って、はずした。あるいは、それまではいくらはずそうと思ってもはずれなかったものが、今回はやってみたら、はずれた。いずれにせよ、最後はおのれの手ではずしたのである。
 だが、その最終的な契機となる――自分をしてたがをはずさせる――出来事や、あるいは人物というものも、たしかに存在する。庄九郎の場合それは土岐頼秀だった。私の場合にも、そういった存在がある。土岐頼秀は、松波庄九郎の本来の自己を解放し、結果として後の斎藤道三へと成らしめた。故に庄九郎(道三)は、頼秀に感謝すべきなのであろう。私も、吉左右は未だ判らぬながらも、同様にか。

(新潮文庫版 1971年11月発行 1994年11月55刷)

「ヘーシンクさんが死去 東京五輪で柔道金メダル」 から

2010年08月28日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2010年8月28日14時43分、アムステルダム=井田香奈子。(部分)
 〈http://www.asahi.com/obituaries/update/0828/TKY201008280112.html

 ヘーシンクさんは〔略〕日本の国技である柔道が初めて採用された東京五輪の無差別級決勝で、神永昭夫さんを破って優勝した。

 “柔道強い人”。
 試合は、テレビで見ていたと思いますが、幼時のこととて、さすがに憶えていません。ご冥福をお祈りします。

「曹操墓考古隊回応造假質疑称将起訴誹謗者」 から

2010年08月28日 | 抜き書き
▲「新華網」2010年08月28日 06:57:36、来源:中国新闻网、全5ページ。(部分)
 〈http://news.xinhuanet.com/politics/2010-08/28/c_12492847.htm

 2010年08月26日「『曹操墓越来越像“華南虎”?』 ほかから」より続き。

  这份声明称,近日,一些人聚集苏州,召开所谓的“三国文化全国高层论坛”,组织和散布曹操高陵考古工作有造假行为,对科学严谨的考古工作进行无中生有的恶意攻击和诽谤,给考古队队员造成了极大伤害,也造成了极其恶劣的社会影响,败坏了考古队声誉,严重干扰了考古队正常考古工作的开展。 (1/1)

 たかがへんぺんたる学者風情が官威ともに備わりたる自分のいうことをお説ごもっともと受け入れないのはけしからぬ、あまつさえ批判などする、だから力づくで黙らせるという、まさに大陸式面子の発露である。ここでは批判の内容やその適否は問題とはならない。

「【日韓併合談話】日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨」 を読んで

2010年08月28日 | 思考の断片
▲「msn 産経ニュース」2010.8.28 07:00、全5ページ。(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100828/plc1008280701006-n4.htm

 --そういえば最近のことですが、こんな話を聞きました。ある日本人の女性社員ですが、韓国の会社との契約をまとめるのに成功しました。それは良かったのですが、商談が成立した途端、韓国人の男性社員が『日本は過去の問題について謝罪していない。けしからん』とまくしたてたそうです。相手は大事なお客さまですから言い返すわけにもいかず、黙って聞くより仕方がなかったけれど、内心韓国をとても嫌いになったそうです。そのことを年輩の日本人男性に話したところ『だから韓国とは付き合わない方がいいんだ』といわれたそうです
 「それこそまさに中国の思うつぼです。中国の戦略の狙いはそこにあるのですから」 (4/5)

 崔三然氏は、「中国の大戦略は日米韓の連携を極力抑え込むこと」だと言う(3/5)。
 だとしたら、昨日のような態度は中国の思う壺だということになってまことによろしくない。しかし、そういう輩は個人的に人種・民族・国籍・宗教・思想・性別を問わず嫌いだから仕方がない。正直ついでに言えば、嫌いどころか憎悪する。ただし、相手が普通に接するかぎり、こちらも普通に接するし、仕事なら個人的な感情ぬきで対応する。もっともむこうにその分別があるかどうかは知らない。

 「日本では頭を下げれば謙虚な人だと尊敬されますが、大陸や半島ではどんどんやられます。結局日本人は内心、韓国人を嫌うようになります。かえって互いの信頼を失う結果になります」 (4/5)

 大陸や半島の面子というのは、自分の言うこと為すことがすべて通る状態のことを言う。だから大方の日本人(あるいは政府)のやりかたは、中国人や韓国・北朝鮮(人)の面子を立てていることになっているのである。ただ、あちらの面子というのは、立てると関係は良好になるが、その関係は、自分が上で、相手を下として、まさに見下すのが基本である。しかも一度立てるとどんどん要求が大きくなる。そして立てないと、敵と見なして激昂する。これが向こうの面子というものである。日本の面子とは違うのである。完全な屈服(と侮辱の甘受)か、あるいは完全な敵対しか、大陸・半島式の面子に対処法はないと思われる。
 ちなみに、日本の面子は、引け目がある(と感じる)側がなんとかして対等になろうとするのが目的である。だから片方が相手の面子を立てても実害はまあない。その一方で、昔の身分制社会では、下手に面子にこだわるとかえって「分際を知らぬ」と面子を潰されることのほうが多かったのではないか。そして潰されても文句は言えなかった。これを言い換えれば、大陸・半島の面子は上の者が下の者に対してより一層威張るために張るもの、日本の面子は下の者が上の者に対して「一寸の虫にも五分の魂がござる」ことを示すために張るもの、と考えるが如何。

「パウエル元米国務長官:『イラク戦争は避けられた』」 を読んで

2010年08月28日 | 思考の断片
▲「毎日jp」毎日新聞 2010年8月28日12時50分、ワシントン草野和彦。(部分)
 〈http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20100828k0000e030042000c.html

 イラク戦争開戦時(03年3月)の米国務長官のコリン・パウエル氏(73)が、毎日新聞の電話でのインタビューに応じた。元長官は「戦争は避けることができた」と述べ、旧フセイン政権の大量破壊兵器(WMD)の存在に関する情報が間違っていたことを「極めて残念だ」と強調した。イラク戦争を巡り、ブッシュ前政権の高官が戦争が回避できたと踏み込んで発言するのは極めて異例だ。パウエル氏は、今月末にイラク駐留米軍が戦闘任務を終了させるのにあわせ、毎日新聞のインタビューに応じた。

 マクナマラ元国防長官も、ベトナム戦争について、ほぼ同じ趣旨のことを言っている。やはり戦争が終わってからのことだったが。ただし彼はケネディ政権を継いだジョンソン政権下で、当初ベトナムへの大規模介入を推進し、さらには北爆開始を指示するものの、次第に「勝てない」という意見に傾いていって、ついには辞任せざるをえなくなった(実質的には解任)。行動の軌跡が、パウエル氏と似ている。

 元長官は、事前にWMDがないと判明していれば「個人的な見解として、米国は戦争をしなかっただろう。WMD(の存在)が国連決議の根拠だったからだ」と述べた。ただ当時はブッシュ前大統領や米議会も情報が正しいと信じるだけの根拠があり、開戦は「法的に正当化される」と語った。

 ただ、ベトナム戦争の場合、トンキン湾事件(8月4日の北ベトナム軍による攻撃)が誤報もしくは捏造であったことが当時すぐに分かっていたとしても、戦争にならなかったというような、簡単な事情ではなかったようである(『果てしなき論争』)。
 しかしひるがえっていえば、イラク戦争の場合も、大量破壊兵器(WMD)が存在しないと分かっていても、果たして戦争は本当に避けられたかという疑問は残る。
 草野記者が指摘するように、WMDがないにもかかわらず、イラクのフセイン元大統領が査察を拒んだのは、「イランに弱さを見せたくない」という、まったく米国には関わりのない要素によるものだったからである。
 マクナマラ氏が、「ベトナム戦争は避けることができた」というとき、それは米国側だけの事情を指している。ベトナム側の事情があきらかになって、同じくその錯誤の箇所と理由を突き止めたとき、ベトナム側も戦争を避けることができたと考えることができ、ベトナム戦争は避けることができたと確信することができる。マクナマラ氏が戦後20年ののち、わざわざベトナムへ赴き戦争当時の北ベトナム政府高官・軍人だった人々と激しく率直な議論をたたかわせたのは、まさにこの確信を得るためだった。(結局は、若干の不明点が残った。しかし『果てしなき論争』を虚心に読む限り、基本的には問題は解決されたと思う。戦争は避けえた。すくなくとも理論的には。)

 ベトナム戦争に従軍した元長官は、戦場の厳しさを最もよく知る人間だ。統合参謀本部議長として指揮した91年の湾岸戦争と異なり、国連安保理の開戦容認決議がなく、大規模兵力の集中投入も行われなかったイラク戦争。「米国は勝ったのか」という質問に、「まだ判断することではない」とだけ語った。

 イラク戦争について、パウエル氏がマクナマラ氏の役割を果たしてくれればと思うのだが。だがもうそんな個人プレイの時代ではないか。