しかし四十を越えると、妙なことがある。他人(ひと)さまを平気できらいになってしまう。他人だけでなく、自分をふくめて、どれもこれも少しづつ峻烈(しゅんれつ)に気に入らなくなってきた。
いやな男に出会ったときなど、そのときの自分の如才ない態度などを思いあわせて、三日も四日も不愉快で、一ヵ月たってもなにかの拍子にそれを思いだすと、なにをするのもいやになり、あの一日だけ死ねばよかった、とおもうほどである。
むろん、憎悪だけでなく、愛情も強くなるようで、どうも四十を越えれば自制心のたががゆるみ、愛憎ともに深くなりまさるものらしい。 (本書312-313頁)
原文では、このあと「庄九郎も、この齢、たががはずれはじめている」と続く。自分に刃向かった主君の息子(土岐頼芸の嫡子頼秀)を、合戦で打ち破っただけでなく、“攻めほろぼしてやる”と決心し、そのとおり実行したことを指す。
この説は当たっているような気がする。私の場合、五十を迎えて、この種のたががはずれたようだ。感情の表出が、それまでと比べ、苛烈になった。
昔の人(司馬氏も含めて)の四十歳と、私もその一人であるところの現代人の四十歳は違うだろう。現代人の成人は三十歳だとよくいわれる。自分の経験に照らしてもそれは正しいと思う。とすれば、いまの人間の自制心のたががはずれるのは五十歳、ということになる。
ところで、そのたがだが、自然自然(じねんじねん)にはずれるわけではない。この小説における庄九郎もそうであったように、最終的には自分がはずしたものである。自らが、はずそうと思って、はずした。あるいは、それまではいくらはずそうと思ってもはずれなかったものが、今回はやってみたら、はずれた。いずれにせよ、最後はおのれの手ではずしたのである。
だが、その最終的な契機となる――自分をしてたがをはずさせる――出来事や、あるいは人物というものも、たしかに存在する。庄九郎の場合それは土岐頼秀だった。私の場合にも、そういった存在がある。土岐頼秀は、松波庄九郎の本来の自己を解放し、結果として後の斎藤道三へと成らしめた。故に庄九郎(道三)は、頼秀に感謝すべきなのであろう。私も、吉左右は未だ判らぬながらも、同様にか。
(新潮文庫版 1971年11月発行 1994年11月55刷)
いやな男に出会ったときなど、そのときの自分の如才ない態度などを思いあわせて、三日も四日も不愉快で、一ヵ月たってもなにかの拍子にそれを思いだすと、なにをするのもいやになり、あの一日だけ死ねばよかった、とおもうほどである。
むろん、憎悪だけでなく、愛情も強くなるようで、どうも四十を越えれば自制心のたががゆるみ、愛憎ともに深くなりまさるものらしい。 (本書312-313頁)
原文では、このあと「庄九郎も、この齢、たががはずれはじめている」と続く。自分に刃向かった主君の息子(土岐頼芸の嫡子頼秀)を、合戦で打ち破っただけでなく、“攻めほろぼしてやる”と決心し、そのとおり実行したことを指す。
この説は当たっているような気がする。私の場合、五十を迎えて、この種のたががはずれたようだ。感情の表出が、それまでと比べ、苛烈になった。
昔の人(司馬氏も含めて)の四十歳と、私もその一人であるところの現代人の四十歳は違うだろう。現代人の成人は三十歳だとよくいわれる。自分の経験に照らしてもそれは正しいと思う。とすれば、いまの人間の自制心のたががはずれるのは五十歳、ということになる。
ところで、そのたがだが、自然自然(じねんじねん)にはずれるわけではない。この小説における庄九郎もそうであったように、最終的には自分がはずしたものである。自らが、はずそうと思って、はずした。あるいは、それまではいくらはずそうと思ってもはずれなかったものが、今回はやってみたら、はずれた。いずれにせよ、最後はおのれの手ではずしたのである。
だが、その最終的な契機となる――自分をしてたがをはずさせる――出来事や、あるいは人物というものも、たしかに存在する。庄九郎の場合それは土岐頼秀だった。私の場合にも、そういった存在がある。土岐頼秀は、松波庄九郎の本来の自己を解放し、結果として後の斎藤道三へと成らしめた。故に庄九郎(道三)は、頼秀に感謝すべきなのであろう。私も、吉左右は未だ判らぬながらも、同様にか。
(新潮文庫版 1971年11月発行 1994年11月55刷)