書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

荒井利明 「『敗者』たちの叫び(34)――江青拘束の実行者は?」 から

2010年08月18日 | 抜き書き
▲「Searchina 中国情報局」 2010/08/16(月) 16:36。(部分)
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0816&f=column_0816_010.shtml

 江青を拘束するという、きわめて重大な場に、自分がいたかいなかったか、たとえ30年後であったとしても、間違えるものだろうか。紹介したような江青とのやりとりを「回想」している武健華が、その場にいなかったとは考えにくい。それにしても、記憶、そして回想はやっかいなものである。

 「問題は記憶および記憶にもとづく回想がどこまで信頼できるか、ということだ」と筆者は言う。しかし私にいわせれば、記憶、そして回想録というものはなべて「信用できない」という地点から始めたほうがよくはないか。裏がとれてはじめて信用すると。

「ルービックキューブ、20手で必ず解ける 数学者ら実証」 から

2010年08月18日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2010年8月18日20時12分、ワシントン=勝田敏彦。
 〈http://www.asahi.com/science/update/0818/TKY201008180314.html

 立方体の各面の色をそろえるパズル、ルービックキューブは、初期の配置がどんなにでたらめでも20手で解けることを、ケント州立大(米オハイオ州)の数学者ら米独の研究チームが証明し、発表した。

 ほんまかいな。信じられん。私など、×100手でも解けんだろうに。

松方冬子 『オランダ風説書 「鎖国」日本に語られた「世界」』

2010年08月18日 | 日本史
 1845年(弘化二)年の「別段風説書」では、その前年に起こった主として近隣諸国地域の重大事件、つまり「新しい植民地の制度を固めるためにイギリスの香港政庁が相次いで出した政令、各開港地で起きた密輸や殺人、香港総督の交代と新総督の動静、そして開港地における貿易の様子など」(本書156頁)が記されていたのだが、そこに現れる西洋近代の語彙、たとえば今日であれば「法廷」「議会」「政府」、その政府の「省」などを、「区別できずに全部『役所』『奉行所』と訳している」(157頁)。
 いうまでもないが、これは誤訳ではない。筆者も注意するように、当時の日本の実情や文化そして日本語の語彙を考えれば、的確な訳だったのである。ちなみに「条約」は「誓約」、「演説」は「論事(「さとすこと」とルビ)、「奴隷制」は「召使いの如く押付け遣わるゝ事」、「植民地」は「人を外国の島ニ遣シ培養シ属国とする所をいふ」となっていた(同頁)。

(中央公論新社 2010年3月)

ウタ・ハーゲン著 シカ・マッケンジー訳 『“役を生きる”演技レッスン』

2010年08月18日 | その他
 副題「リスペクト・フォー・アクティング」。

 いろいろなものを「もしこれが、私にとっての何々だったら」と置き換えることが、直後の行動を生み出しています。あなたが見たことのある、知っている記憶=過去を使うのは、現在〔劇の世界〕のアクションをリアルに行うため。あなたの思い出を、そっくりそのまま演技のなかにはめ込んで使うのでは、ありませんよ。(略)現在(=劇の世界)があなたにとってリアルに感じられるよう、まず知っているものと置き換えてみるのです。(略)人物や出来事、劇のなかで使うものを「もしこれが、○○だったとしたら?」と置き換えるだけで終わってはいけません。完全に、劇の中のものと同化させてください。劇のなかのものが、あなたにとって本当なんだと信じられるように、移し変えましょう。そうなれば、もともと何を使って置き換えたか、忘れてしまうかもしれません。それでいいのです! (「第3章 置き換え」本書63頁)

 「これが私よ」というイメージは、一つではありません。あらゆる人の特徴が、私のなかのどこかに存在しているのです。(略)自分自身で「いやだなあ」と思う特徴も、見逃さないようにしましょう。(略)「私にも、そういうところがるなあ」と認めることで、「私らしさ」への認識を広げて欲しいのです。 (「第2章 アイデンティティ」本書40-41頁)

 役者個人の「感情の記憶」を重視したリー・ストラスバーグを代表的提唱者とするメソード演技法と、それを真っ向から否定し、脚本の緻密な読み込みと想像力さえあればその役を演ずるにあたって必要な感情は自然に生まれると説いたステラ・アドラー。このウタ・ハーゲンの方法論は、ちょうどその中間に属する。
 アドラーは、ストラスバーグのメソード演技を、スタニスラスフキイの教えを曲解したものとして退けた。個人、なかんづく現代大衆社会の個人の限られた経験や貧しい感情だけでは、「サイズ」の違うキャラクター(たとえばシェークスピア)は演じられないと。
 ハーゲンは、アドラーが卑小な現代人の裡にはまったくないとした、大きな「サイズ」を、同じ人間である以上、だれもが持ち得ると考える。それを呼び起こす手段が「置き換え(substitution)」である。もっとも、ハーゲンも最初から誰にでも有るといっているわけではない。普遍的に存在するのはあくまでその一端であり、「サイズ」の差はハーゲンとて認めている。ただ、彼女は、その差はうめることが出来るとする。「置き換え」でたぐり出した端緒を、想像力によって役に相応しい大きさにまで育て上げることができるというのである。
 メソード演技法は米国で盛んで、有名なアクターズ・スタジオはそのメッカである(リー・ストラスバーグは設立者ではないがのちその運営者・教師として象徴的な存在となった)。ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノがここの出身であることも有名だが、そのアクターズ・スタジオの主催するインタビュー番組で、デニーロは、「自分ばかり見つめていても始まらない」と、メソード演技に対する批判を述べている(同じインタビューによれば、デ・ニーロは修業時代、ステラ・アドラーから教えをより多くうけたらしい)。パチーノにいたっては、自他共に認めるリー・ストラスバーグの愛弟子であり、現在はアクターズ・スタジオの共同学長(三人のうちの一人)を務める身であるにもかかわらず、やはり同じインタビュー番組で、「(いまは)『感情の記憶』はあまり使わない」(つまりメソード演技法にはあまり頼らない)と、明言している。察するに、二人とも(すくなくともデ・ニーロは)演技者としてはハーゲンに近い位置にいるようである。

(フィルムアート社  2010年5月)

マーシャ・ガッセン著 青木薫訳 『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』

2010年08月18日 | 伝記
 グリゴーリー・ペレルマンという人は偉い! 西郷隆盛の言う、「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也」とはこういう人のことをも指すのだろう。
 「此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也」と、続くこの言葉は、直接には山岡鉄太郎(鉄舟)を評したものらしいが、べつに国事に奔走していなくても好い。西郷自身はかならずしもそうではなかったかもしれないが、今日の私たち――「日本人は」と、すくなくとも私たちの住む北東アジア地域においては限定をつけなければならないらしいところは悲しいけれど――は、「それがどこであっても、相手が誰であっても、あるいは相手がいようといまいと、自分のやるべきことをやるまで」を美徳と思いなすようになっている。
 よくよく考えてみれば、これはまさに職人気質、時代劇、あるいは古き良き明治・大正・昭和を描く小説やドラマにしばしば登場する、昔かたぎの日本人の一典型なのであった。日本人は、一時の「鬼胎」の時代をすぎて、進化したのか、それともまさに額面通りの「古き良き」伝統へと回帰したのか。

(文藝春秋 2009年11月)

人道問題から政争の具へと?

2010年08月18日 | 思考の断片
▲「ИТАР-ТАСС」17.08.2010, 14.59、「Беспорядки на юге Киргизии были заранее спланированы - выводы национальной комиссии」 (全)
 〈http://www.itar-tass.com/level2.html?NewsID=15411212&PageNum=0

БИШКЕК, 17 августа. /ИТАР-ТАСС/. События, произошедшие в июне в Ошской и Джалал-Абадской областях Киргизии, носили не стихийный, спонтанный характер, а были хорошо организованы. Об этом заявил сегодня здесь на пресс-конференции руководитель национальной комиссии по всестороннему изучению причин и последствий трагических событий на юге страны Абыдганы Эркебаев. В комиссию, организованную по поручению Розы Отунбаевой, вошли представители силовых структур, гражданского общества, международных организаций.

По словам Эркебаева, в ходе встреч и бесед с жителями Ошской и Джалал- Абадской областей, представителями разных национальностей, было установлено, что "организаторами и вдохновителями июньских беспорядков стали лидеры местной узбекской общины Кадыржан Батыров и Джалалиддин Салахутдинов". "У комиссии есть видеоматериалы и другие доказательства их причастности к беспорядкам",- подчеркнул Эркебаев, добавив, что "Салахутдинов пойман и дает признательные показания, а Батыров объявлен в розыск".

 先のキルギス南部の暴動は同地のウズベク人によってあらかじめ周到に計画されたものであったとするキルギス政府側調査委員会の結論。
 一方のウズベク人側(及び多くの国際社会の報道)は、自分たちを襲ったキルギス人群衆にキルギス国軍が加わっていたと主張する
 だんだん真実と誠実から離れていくような気がする。これは、どうなったのか。