書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「【日韓併合談話】日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨」 を読んで

2010年08月28日 | 思考の断片
▲「msn 産経ニュース」2010.8.28 07:00、全5ページ。(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100828/plc1008280701006-n4.htm

 --そういえば最近のことですが、こんな話を聞きました。ある日本人の女性社員ですが、韓国の会社との契約をまとめるのに成功しました。それは良かったのですが、商談が成立した途端、韓国人の男性社員が『日本は過去の問題について謝罪していない。けしからん』とまくしたてたそうです。相手は大事なお客さまですから言い返すわけにもいかず、黙って聞くより仕方がなかったけれど、内心韓国をとても嫌いになったそうです。そのことを年輩の日本人男性に話したところ『だから韓国とは付き合わない方がいいんだ』といわれたそうです
 「それこそまさに中国の思うつぼです。中国の戦略の狙いはそこにあるのですから」 (4/5)

 崔三然氏は、「中国の大戦略は日米韓の連携を極力抑え込むこと」だと言う(3/5)。
 だとしたら、昨日のような態度は中国の思う壺だということになってまことによろしくない。しかし、そういう輩は個人的に人種・民族・国籍・宗教・思想・性別を問わず嫌いだから仕方がない。正直ついでに言えば、嫌いどころか憎悪する。ただし、相手が普通に接するかぎり、こちらも普通に接するし、仕事なら個人的な感情ぬきで対応する。もっともむこうにその分別があるかどうかは知らない。

 「日本では頭を下げれば謙虚な人だと尊敬されますが、大陸や半島ではどんどんやられます。結局日本人は内心、韓国人を嫌うようになります。かえって互いの信頼を失う結果になります」 (4/5)

 大陸や半島の面子というのは、自分の言うこと為すことがすべて通る状態のことを言う。だから大方の日本人(あるいは政府)のやりかたは、中国人や韓国・北朝鮮(人)の面子を立てていることになっているのである。ただ、あちらの面子というのは、立てると関係は良好になるが、その関係は、自分が上で、相手を下として、まさに見下すのが基本である。しかも一度立てるとどんどん要求が大きくなる。そして立てないと、敵と見なして激昂する。これが向こうの面子というものである。日本の面子とは違うのである。完全な屈服(と侮辱の甘受)か、あるいは完全な敵対しか、大陸・半島式の面子に対処法はないと思われる。
 ちなみに、日本の面子は、引け目がある(と感じる)側がなんとかして対等になろうとするのが目的である。だから片方が相手の面子を立てても実害はまあない。その一方で、昔の身分制社会では、下手に面子にこだわるとかえって「分際を知らぬ」と面子を潰されることのほうが多かったのではないか。そして潰されても文句は言えなかった。これを言い換えれば、大陸・半島の面子は上の者が下の者に対してより一層威張るために張るもの、日本の面子は下の者が上の者に対して「一寸の虫にも五分の魂がござる」ことを示すために張るもの、と考えるが如何。