書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「【コラム】1億人の塩野七生」 から

2010年08月14日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2010/08/14 11:46:19、鄭佑相(チョン・ウサン)・政治部外交チーム長。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20100814000031

 筆者が日本で出会った気の良さそうな不動産屋のおじさんからファッションモデルに至るまで、歴史問題については、「証拠を示せ」と言っていたのを思い出す。よその国を強制的に占領し、「独立万歳」を叫んだ7500人を殺害し、強制徴兵、徴用で数多くの命を奪い、植民地の女性を慰安婦として虐待した国の人々が「証拠を示せ」と言い張るのは、「お前たちは愚かだからやられたのに、なぜ腹を立てるのか」と言っているに等しい。日本には塩野氏のような人が1億人いると考えたほうがよさそうだ。

 記録や文書には強い者の論理が記されているものだ。歴史の大半は勝者が書き記したものだ。日本が韓国などアジアを侵略した時期の公文書に、自分の身動きすらとれなかった被害者の立場が反映されているはずなどない。われわれが従軍慰安婦や強制徴用者の問題を取り上げれば、日本は「証拠に基づき話そう」という。やくざは高金利を取り立てる根拠に覚書を差し出す。その覚書にはこぶしを振り上げて、脅したことまでは記録されていない。公文書だけで当時の真実を完全に把握するのは無理であり、詐欺行為だ。

 言い出した者に立証責任があるという最低の常識さえない。しかも証明の根拠となる史料は信用できない、自分たちの言うことを何から何までそのとおりに認めよと言う。そしてそれこそ何の根拠もなしに、日本人全部が塩野氏のような人(塩野氏に失礼だろう)であると決めつける。このような仁には、まちがっても刃物を渡してはならない。

「South Korea's Case for How the Cheonan Sank」

2010年08月14日 | 思考の断片
▲「Time.com」 Friday, Aug. 13, 2010, by Bill Powell. 〈部分)
 〈http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2010455,00.html

  Korea has vowed to release the full investigative report done by an international team (which brought in experts from the U.S., the U.K., Australia and Sweden). It is a document Seoul says will prove conclusively that, in the words of Kim Tae Hyo, Lee's senior adviser on relations with Pyongyang, "there is no other plausible explanation" except that a North Korean torpedo sank the Cheonan.

 へえ、『タイム』も、天安号攻撃を北朝鮮によるものとは断定していないんだ。まあ、あの調査レポートを読めば当然だが。消去法でいって、北朝鮮による攻撃しか現実的な可能性としてありえないという論法だから。積極的な論証ではないのである。『タイム』のこの記事を書いた筆者も、その点をちゃんと指摘している。

  In all, the report considers 10 possible scenarios of why the ship might have sank, and after outlining the evidence in each of those cases, it concludes with the words, "No chance." /By contrast, it labels the notion that a North Korean torpedo struck and sank the Cheonan a "high possibility."

「完全にありえないことを取り除けば、残ったものが、いかにありそうにないことでも、真実に違いない(Once you eliminate the impossible, whatever remains, no matter how improbable, must be the truth.)」というシャーロック・ホームズの名言を思い出させる話だが、この記事にも、ホームズの名が出てくる。というか、記者も私と同じ感想をもったからこそ、ホームズの名を出したのだろう。

  Not only does it present the case for why a North Korean attack is the "only plausible possibility," but also, sources with detailed knowledge of its preparation say its intent is to pick apart, in a manner worthy of a Sherlock Holmes story, the most prominent competing theories that have been publicly raised in the months since the sinking. There is no way the ship ran aground, the report says, because the damage to the Cheonan's hull was in no way consistent with that scenario. To the contrary, "two types of hull deformations, impossible to occur in a grounding event, were observed." 

 『タイム』誌が言ったからだからどうだというわけではないが、まわりにはこの私と同じ意見の人間が見あたらず、「もしかして俺は頭がおかしいのか?」と、またもや自分の正気に自信が持てなくなってきた矢先であったので、Bill Powell 氏によるこの文章は、非常に心強かった。

「ダライ・ラマ法王、中国人とツイッターで質疑応答」 から

2010年08月14日 | 抜き書き
▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」2010年8月2日、翻訳者:小池美和。(部分)
 〈http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100810_twitter.html

■質問10:
猊下はチベットに定住している中国人とその第二世代のことをどのようにお考えでしょうか。猊下がおっしゃる「名実を伴う自治」によって彼らが周辺的な立場に追いやられる可能性はないのでしょうか。チベットにいる中国人はこのことが心配で猊下と亡命チベット政権に対立的な立場をとっていると思うのですが……。

■ダライ・ラマ法王:
チベットは自治地域です。チベット人の自治地域においてチベット人のほうが少数であっては困ります。それが回避されるなら、我々の兄弟姉妹である中国人のみなさんがどれだけ大勢定住されようと、我々は諸手を挙げて賛成します。とりわけ、チベットの宗教や文化に関心を持っておられる方々は歓迎されるでしょう。

いつも申し上げていることですが、中国のみなさんは身体の滋養となる美味しい食事を作ることができ、我々チベット人は精神の滋養となる仏教の教えを提供することができます。ですから、なんの心配もなくうまくやっていけると思います。

中国人の中には、チベット仏教は悪しき宗教でチベット人は汚らしいと言ってチベット人を軽蔑する人がいます。そのような人にとっては、彼らが汚いとする場所に住むのは意味のないことですから、きれいな場所へ戻られたらよいのです。

チベット人の大部分はチベット仏教の実践者であり、チベット仏教は人種差別について論及していません。古代のチベットでは、大僧院の僧院長の多くがモンゴル人でしたし、中国人も経典を学んでいました。様々な人種で構成されていましたが、人種差別はありませんでした。同様に、中国人のみなさんも僧院で宗教的研鑽を積まれたならば、チベットの僧院長やラマになれるかもしれません。モンゴル人であれ、中国人であれ、チベット人であれ、なんら違いはないのです。

 ダライ・ラマのチベット自治運動とウイグル独立運動(たとえば東トルキスタン共和国亡命政府)との決定的な違いは、おそらくここにある。2010年01月11日〈『東トルキスタン共和国憲法』を読む」補足〉参照。

「故金日成主席、米より日本の軍事介入を警戒 (読売新聞)」 から

2010年08月14日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2010年8月14日10時27分。(部分)
 〈http://news.www.infoseek.co.jp/top/story/20100814_yol_oyt1t00013/

 金首相は71年6月、平壌を訪問したルーマニアのニコラエ・チャウシェスク国家評議会議長(当時。後に大統領)と会談し、朝鮮半島を巡る見解を示した。〔略〕首相は、韓国で北朝鮮系の革命勢力が台頭し政情不安に陥った場合、「事態に介入するのは米国人ではなく、日本人だ」と語った。その根拠として、〈1〉日本の自衛隊幹部が頻繁に韓国入りしている〈2〉韓国への外国投資の2割が日本からである――ことを挙げ、「(韓国の)反乱部隊は日本によって鎮圧されるだろう」と語った。
 
 「本気だったんだ」と驚く。
 しかし、このほとんど同じ時期(1971年10月22日)に、中国の周恩来も朝鮮半島と台湾情勢に関して、キッシンジャーに日本による軍事介入の危険性を解いているのだが、あれはやはり幾分でも本気だったのだろうか。それともこれは、いまでも時として見られる中・朝・韓の反日連係プレーだったのであろうか。

「生誕150年、チェーホフたっぷり 狂言化・野外公演も」

2010年08月14日 | 思考の断片
▲「asahi.com」2010年8月14日、「生誕150年、チェーホフたっぷり 狂言化・野外公演も」〈部分)
 〈http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201008130249.html

 ロシアの作家・劇作家アントン・チェーホフ。日本でもファンが多く、作品もしばしば上演されるが、今年は生誕150年にあたり、特に多くの公演が相次ぐ。それぞれに工夫をこらして、チェーホフに向き合う。/東京・池袋のあうるすぽっとは、「チェーホフフェスティバル」を開催中。その一環として同劇場では、この夏、3公演がある。

 私はチェーホフが好きだが、その舞台や映画はあまり見ない。それよりは、彼の作品――小説でも戯曲でも――を、その舞台となったロシアの、たとえば田舎の屋敷の中でゆっくりと、あるいは庭にイスとテーブルを出して、ロシア式の紅茶を飲みながら読みたいと思う。これはいつか果たしてみたい私の贅沢な夢である。それはさておき、おそらく、チェーホフの文章は、簡潔で、作品の完成には読者の想像力に負う部分が大きいからではあるまいか。これを反対に言えば、映画化にせよ舞台化にせよ、作り手が自由に腕を振るえる部分が大きい反面、それを見た受け手は、何をどう観ても、「これは違う」と思ってしまうということでもあるだろう。

 ロシアのチェーホフの伝記研究を読んでいて、若いときのチェーホフは正義感の強い熱血漢だったという友人の回想に出合ったことがある。なるほどこの回想の側に立てば、彼の、“唐突な”サハリン行きとその成果としてのルポルタージュ『サハリン島』の執筆も、その延長線上の出来事であって、なんら唐突でも転機でもなかったということになる。彼の生涯は理解しやすくなる。
 たしかに、彼の全集にある書簡集から窺えるのは、ユーモアたっぷりで茶目っ気もおおいにあり、そしてわりあい怒りっぽくもあるという、感情豊かで人間くさいチェーホフの人間像である。
 そういった意味では、初期の、生活のため、原稿料めあてに書きとばした短編のほうが、彼の地を示しているのかもしれない。すくなくとも、水のような冷静さとまったく説明というものがなくただ描写だけの後期の作品群(とくに『桜の園』や『ヴァーニャ伯父さん』をはじめとする晩年の戯曲)は、徹底した添削の結果であるとは言えるのではないか。