くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ヘンな家族、だから大好き」

2011-10-16 09:26:26 | 総記・図書館学
「結婚式というものに一度も出席したことのなかった夫が、自分の結婚式で。司会者が『新郎は新婦と腕を組んで退場です』というと、自分一人で腕組みをし、私が手をかけようとしても、再三手を振り払って真顔で立っていた」
「日本に来て四、五年になるイギリス人の夫は自称『日本語ペラペラ』。けんかをして、『なんやねん、ひきょう者!』と言ったら、意味が分からなかったらしい。『どういう意味?』と聞いてきたが、腹が立っていたので『自分で調べろ』と言い返した。すると、辞書を見ながら『だれも訪れない寂しいところ……』とつぶやいていた」
可笑しい。つい借りてきました。朝日新聞日曜版編集部「ヘンな家族、だから大好き」(亜紀書房)。「いわせてもらお」というコーナーからのセレクションだそうです。
巻頭になぜか河合隼雄のエッセイが入っていて、その後は項目ごとに紹介されるのですが、様々な家族のなかでのふとした出来事がおもしろい。
よく見えないのでテーブルの上にある眼鏡を渡してもらおうと、「ねぇ、眼鏡取って」と言ったら、お父さんはおもむろに自分がつけていた眼鏡を外した、というのもなんだか可笑しい。
大別すると、子供にまつわる話題と夫婦に関する話題になると思うのですが、わたしは後者のほうが好きみたいです。子供の間違いはその年頃の「わからないこと」や「語彙が少ないこと」からきていることが多いですが、大人はその人柄が影響してくる。思わず笑ってしまうようなことを、よくとらえて表現しているのがいいですね。
わたしが好きな笑いは、言葉に関わるものが多いようです。最初にあげた二つの例から考えると、「腕を組む」という言葉が多義であること、「卑怯」と「秘境」が同音であることが関わってきます。
しかも目に見えるようですよね。わたしがこの披露宴に招待されていたら絶対爆笑します。

「あまから人生相談」マツコ・デラックス

2011-10-15 04:26:12 | 哲学・人生相談
意外と正統派です、マツコ。しかし、自分よりも年下と知って驚きました。冷静に考えると、この人は性別的には男性なんですがね、回答を読むと、たいへん身近に感じる。匿名の回答者に設定しても、結構納得できると思います。自分も世の中も客観視できる人だと思いました。
マツコ・デラックス「あまから人生相談」(ぶんか社)。まさかこの方がブレイクするとは思っていなかったため、過去のメディアのちょっとしたところで取り上げられているのを見ると不思議な気がします。「だめんず・うぉーかー」でもドンペリを一気飲みする勇姿が描かれていましたよね。
その波にあやかっての出版ではないかなと、下司は考えてしまうのですが、レディコミの人生相談の回答者として採用するあたりなかなかすごい着眼です。
なんでも話せた友人が、ママになった友達だけの集まりで自分のことを面白おかしく吹聴していたと聞いてショックをうけた人には、「仲のいい友人で集まると、その中にいない誰かのことをちょっとネタに使うことって、アナタだって一度もしたことないかしら?」「A子さんがアナタを憎んでいるとか、バカにしているとか、そういうことになってしまう?」「学生時代から長く付き合ってきた友達にやゆ(字が出ません)されたくらいで、その友情まで断絶できるのなら、それはそもそも友達ではなかったように思うのよ」「信頼できる人なんていないと思ったらいないし、いると思ったらいる、そんなもんなのよ」
この相談、読売小町でも結構見かけますねー。ばかにされたら縁を切るという傾向が強いので、目から鱗でした。
全体的に、「心のもちよう」について語っているように思います。実はわたしも気にかかることがあってくよくよしていたのですが、様々な相談を読むうちにはっとさせられ、なんだか楽になりました。
しかし、世の中いろんな人がいますねー。貧乏だと友達にバカにされるからという息子に、一日千円もの小遣いを与えて自分は困窮しているお母さんには驚きました。一ヶ月三万円だよ!
それから、旦那さんの浮気に怯えて自分も不倫しちゃう人とか……。なかなかママ友ができないと悩んでいる人や、借金のある夫の保証人になっていたために返し続けないといけない人、逆パターンで夫の借金をきれいにしてやったのに、結婚後もさらに借金していたことがわかって激怒する人も。
ふと思ったのですが、ネットの人生相談とマツコさん、似たような相談に乗っていても着地は違う。何点かサンプルを集めて比較してみたら、ネットにおける現代的な考えをつかむことができるのでは。
マツコさんに限らずほかの人の考えもあれば加えてもいいでしょう。なんとなく、ネットの考え方は「やさしさ社会」(森真一)の検証にもなるように感じたのです。
人生相談は、相談に乗る人の考えが色濃く出るもの。「あまから」とはいいますが、まっとうなものの見方、相談者への気配りが心地よく、たいへんおもしろい本でした。

「私の夫はマサイ戦士」永松真紀

2011-10-14 05:12:16 | エッセイ・ルポルタージュ
図書館で気になるタイトルの本を発見しました。「私の夫はマサイ戦士」(新潮社)。筆者は永松真紀さん。
添乗員として世界中をとびまわっていた真紀さんは、なぜか強くアフリカに引き付けられます。特にケニア。様々な縁があって現地に滞在することになった彼女は、マタトゥ(乗り合いバス)のオーナーになったり、そのパートナーだったピーターと結婚して離婚したりと波瀾万丈です。
その前の恋人とも、女性問題ですったもんだがあったのですが、マサイ族は重婚可能。真紀さんは第二夫人なんですが、その当時のような嫉妬や争いは皆無といいます。
たしかに、この本を読んでいると第一夫人アンゴイがたいへんにかわいらしい。人柄もよさそうで好感がもてます。
ちなみに「マサイ戦士」とは、学校に通うインテリとは異なり、「伝統的な規律を遵守」し、様々な通過儀礼を経験して成長していくのだそうです。
真紀さんは彼らの成人式にあたるエウノトを見学した際に、リーダーの一人ジャクソンに目を引かれます。これまで数頭のライオンを倒したこともあるという本物の戦士です。
彼に写真を渡し、電話で話ができるようになり、村に招かれます。そうしたら、「第二夫人として迎えるつもり」だと言われる。
あれよあれよという間に、「心の恋人」と呼んでいたジャクソンと結婚することが決まるのです。
この本は、真紀さんの語りをライターの岡崎優子さんがまとめたもの。だから、かなりいろいろなことを真紀さんは話しているわけです。例えば、ケニアの性についての考え方。一夫多妻って、一族繁栄のためのものなんですね。好色なのではなく、どちらかといえば淡泊な生活のようです。お互いを信頼し、妻たちの付き合いや財産は平等に分け合う。財産があれば何人でも妻がもてるようですが、それほど養う力のある人は減ってきているようです。
伝統的な生活をしながらも、海外から輸入される品々を活用していく生活洋式も興味深い。木の実や鳥の羽根で作っていた装身具のかわりに、ビーズ細工のアクセサリーが使われるようになり、写真をよくよく見ると、裸足のマサイに混じってスニーカーを履くマサイもいます。
出生証明書が一生に一度しか発行されないというケニアのシステムにも驚きました。日本で外国人との婚姻届けを出すには、出生証明書が必要なんですが、原本を出してしまうとその後の生活で何かあったときに困りますよね。しかし、コピーでは駄目なんだそうで。
ケニアの人たちは、出産も結婚も役所に届けることはまずないようです。でも、真紀さんはビザを取得しなくてはならないので申請が必要。伝統的に一夫多妻なのに、法律上は重婚は認めていない! のだとか。(みんな届け出ないので問題ないんでしょう。ジャクソンもアンゴイとの婚姻は届けていないそう)
あ、途中で「ジャクソン」というのが本名ではないことも明らかになります。実は「オレ・ナレイヨ」というのだそうですが、お兄さんの仕事の関係で他民族との交流もあるために呼びやすいニックネームをつけていたのだとか。
生活洋式や考え方の違いを痛感しつつも、自分の基盤を作ろうとする真紀さんのバイタリティが、読み手の心を揺さぶります。その後どんな生活ぶりなんでしょう。無事に家は建ったのかしら? 気になります。

「花もて語れ」片山ユキヲ

2011-10-13 05:32:02 | コミック
くーっ、三巻めを買ってくるべきでした……。こんなにいいところで終わると、続きが気になるではないですか。
片山ユキヲ「花もて語れ」(小学館)①②。ジャケ買いです。仙台で研修の帰りに③を見て気になったんですが買わずにいたら、車を運転している間ずっと気になっていたので、つい購入。
テーマは朗読です!
商売柄朗読はしょっちゅうしますが、ここまで突き詰めた読みはしていないなあ、と。作中「その時、私は『お母さん』と言った」という文をどう読むのか、その背景がわからないと声に出して読むことはできないという場面が出てきますが、わたしなら「複数の解釈が必要だしねー」と思いながら読んでしまうかも。
我慢しきれずに③を買いに走りましたが、「花さき山」に泣かされました。何度も読んだ本なんですが。個人的には、「もちもちの木」とか「八郎」とかを総括する物語だと思っていました。で、小さい頃はすごく好きだったのに、後年読んでみると思ったよりあっさりしていて驚いたんですが、今回は初めてこの本を読んだときの衝撃が蘇るように思ったのです。
やまんばの語りをハナ、終結部を満里子が読む「花さき山」、とてもよかった。わたしも観客の一人になったような気分でした。
考えてみれば、「黙読」と「朗読」の違いはこの物語のテーマのひとつですが、この物語を読むときには当然のように黙読になるのですよね。でも「朗読」の価値は伝わる。
「朗読」をするためには、物語の背後にあるものを自分の力で読み解かなければならない。それを声だけで聞き手に伝えるのです。
天才的な力をもちながらうまく自分の武器として使いこなせないハナに対し、満里子は地道な努力を重ねて読みを作ります。彼女の読みの背景には常に家族や自分が投影されることも、作品を読むことの大切な要素だと思います。(感想をもつには自分と比べてみることが必要だから)
どちらかが「朗読の日」の代表に選ばれるということは二人にとってもはやどうでもいいこと。大切なのは、二人とも朗読に出合うことで人生が変わったということなんです。
ハナは場面かん黙とまで言われた無口な女の子。学芸会でナレーションをすることになり、河原で会った折口柊二から朗読のヒントをもらいます。
彼女の読みがほかの子供たちの演技を引き出し、学芸会は大成功。しかしその後とくにぱっとしないまま、二十二歳のハナは就職のために上京します。(とすると大学を出たのだと思うんですが?)
初日から大幅に遅刻。失敗続きのハナは、とある家から響きのある詩の朗読が聞こえたことをきっかけに、再び朗読の世界に足を踏み出します。
その声の主は藤色きなり。朗読教室を主宰していて、特別コースの塾生に稽古をつけていたのでした。
さらに、ハナがつい口に出したことから、取引先のお嬢さんに朗読を聞かせてほしいと頼みにくる人がいました。お嬢さんは引きこもりで、一日本を読んで暮らしている。年子の妹さんを亡くしているので、それが遠因かも知れない。
ハナが読むことになったのは、宮沢賢治の「やまなし」。はたして文中に出てきた「クラムボン」とは?「かぷかぷ笑う」とは?
黙読ではよくわからない謎の言葉ともいえるこのふたつを、まんがは鮮やかに解いてみせます。引きこもっていたお嬢さんも、自分の問題を解決していこうとする。これが満里子です。
朗読。
わたしはわりと初見で音読するのは得意です。でも「朗読」というのはまだまだおこがましいなと感じました。
ただ、「花さき山」の両親のせりふについては、どちらがどちらのものかは予想があたりましたよ。
声に出して読むことは、文字にこだわることでもありますね。宮沢賢治なら、「一日に玄米四合と」をシゴーと読むかヨンゴーと読むか。(現在では後者で読む人が多いですが、賢治の弟はシゴーと読んでいます。高島俊男先生もシゴー派)
「那須与一」なら「折節北風激しくて」は「ホクフウ」だとわたしは思うんですが、平野啓子や松平定知は「キタカゼ」でした。
最近国語領域のまんがが増えてきてうれしいな。とくに今回は「読む」「話す・聞く」と幅広く考えさせてもらって、大満足です。今後も続きが気になりますね。

杜野亜希まんが

2011-10-09 14:09:51 | コミック
どこの古本屋に行っても、「ゲームの終わるとき」(神林&キリカシリーズ)が売ってない。あちこち探すうちに、杜野さんの「碧のミレニアム」(白泉社)全六巻を発見。買いますとも。ついでに、現在連載中の「屍活師」①②(講談社)も買いました。
「ミレニアム」というくらいだから、連載開始は二○○○年。高校生の三島千波は、臨時教師の峰岸とともに戦国時代にタイムトリップします。
彼女は海難事故の生き残りとして、地元では白眼視されていました。
二人を助けてくれた里神楽の一座が、能島村上水軍の屋敷で「鶴姫の巫女舞」をするために同行します。鶴姫とは、戦国時代に実在した、女ながら水軍を率いた伝説の巫女姫。今では亡くなったというのですが、一座ではその舞を踊る者がいるというのです。
450年後の未来からやってきた千波と峰岸。しかも千波は金髪で長身。目立ってしかたがなきために、男装束を着ることになります。
実はこの巫女舞を踊る女、能島とは敵対関係にある村上武吉が女装していたのです。
千波、峰岸、武吉はそれぞれ土鈴を持っていますが、普段は鳴ることがありません。しかし、ふとしたきっかけで共鳴しあう。
鶴姫がかつて七つ所有し、すべて揃うと絶大な力が現れると語った鈴であることがわかり、千波たちは持ち主を探しはじめますが……。
「八犬伝」を思わせるこの展開、どきどきして読みました。気になってならないのは、凪という女の子が後日誰と結ばれるのか。どう考えても千波は武吉といい感じなのに、いつまでも峰岸に固執しているし。
この前に最終巻の前半を立ち読みしていたので、峰岸が鶴姫の夫であり、二人の間に生まれたのが千波だということが分かっていたので、どう展開するのかとても気にかかりましたよ。
ラストの舞台が一体どこなのかわかりませんでしたが……。服装から言ってどこかの南の島?
言葉づかいも戦国的ではないものがあったり、史実とは多少違う面があったりするんですが、物語に入り込んでしまうから気にならないんですね。

「屍活師」は、「女王の法医学」というサブタイトルなんですが、H大医学部の学生犬飼一の目を通して、准教授桐山ユキの活躍を描きます。
法医学というと、どうしても上野正彦先生を思い出してしまうのですが、彼の主張同様に、この物語でも「死体は知っている」のです。
犬飼のアルバイト先で女性が縊死していた事件では、血液から低温のために仮死状態だったことが判明。解剖に立ち合った犬飼には、彼女が凍えそうになっている映像が見えました。
死体の語る真実をイメージ化して見せることができる、それが桐山の特殊能力なのです。でも、誰にでも見えるわけではない。
犬飼のほかにもう一人、同じイメージを共有したと思われる人が示されますが、その人はもう亡くなっている。弟の刑事は、彼女によいイメージをもっていないようです。
短編シリーズですが、ちょこちょこと全体を貫くキイが入っているので、今後どうなるのか楽しみですね。掲載雑誌を立ち読みしたところ、「屍活師」の意味が犬飼に初めて伝わっていました。名前もでてこない院生さんの今後も気になります。

「GF」久保寺健彦

2011-10-05 21:24:46 | 文芸・エンターテイメント
やっぱり久保寺さんは短編がおもしろいわー。最初だけ読んで、もしやこの元アイドルの下剋上ものかと危ぶみましたが、杞憂でした。
「銀盤が溶けるほど」が好きですね。フィギュアスケートといったら「銀のロマンティック…わはは」(川原泉)くらいの知識しかないわたしですが、このペア、応援したくなりました。
中学生の原田菜摘はフィギュアスケート選手。お父さんがコーチを務めていた縁で東綾乃クラブに入会し、ペアをやりたくてずっと練習していました。中一まではシングルで出場するという約束で、ユニゾンの練習はもっぱらお父さんと。思い切ったリフトやスパイラルも、なんでも思うようにできていたのですが、パートナーを探して、いよいよ本格的に練習を始めようとした矢先のクリスマス、お父さんが事故で帰らぬ人になってしまいます。
このあたり、もう目が潤んできて、辛かった。
お父さんがまたいい人で、二人の会話もとってもいいんです。
サンタクロースにカードは届いただろうかと尋ねる娘に、
「大丈夫だよ。プレゼントもらえなかったこと、一度もないだろ」
と笑いかけて、ランニングに出て行く父。
そのちょっと前に、こんな文があります。
「記念に、と言って、お母さんは休日のたび、練習風景をビデオカメラにおさめた。だから、いまでも、お父さんと滑っているところを見ることができる」
えっ、「いまでも」? どういうこと?
そう思った矢先に、読者は父が飲酒運転のトラックに接触して命を失ったことを知らされるのです。
現在の菜摘は十五歳。そのときから一足飛びに大人にならざるを得なかったことが、サンタクロースをもはや信じてはいない現実と、一人称では「お父さん」と呼ぶのに、会話文では「パパ」と呼びかけるその言葉に集約されている。
その菜摘と出会ったパートナーが、黒川尚人。一見外国人にしか見えない、ハーフのスケート選手です。アイスダンスの国際大会に出られるくらいの実力をもつ黒川は、パートナーとのいさかいからルール違反を起こして、前のクラブにいられなくなったのでした。
ついつい余りにも気に入ったために熱が入ってしまいました。短編では今年いちばんの評価をつけたい物語です。あ、また語り始めている……。
久保寺健彦「GF ガールズファイト」(双葉社)。
タイトル通り女の子が奮闘する作品が五つ入っていますが、「オールスター大感謝祭」のミニマラソンだったり、戦後すぐの満洲だったり、テレビの生中継に出ることになったことをイジメのネタにされたりと多彩です。巻末に参考資料が載っていますが、よくこれだけ書けると思いますね。
特に「ペガサスの翼」は小柄ながら大型バイクを乗りこなす保育士の木崎翼が主人公。カッコイイ。
ある程度基礎知識がないと、オートバイのテクニックなんて書けないと思うのです。
正義感溢れる翼と、彼女を支えよえとする慎吾。痛快です。この慎吾がただのナンパ男からずんずん成長していくのもいい。
実は検診先の待ち時間に読んでいたのですが、すごいいいところで呼ばれてしまい、翼がどうなるのかはらはらしてしまいました。
待ってる間に最後まで読んでしまったので、また「銀盤」に戻ったら、再読なのに前よりも泣きたくなってしまい、苦しかった。
とにかく、がんばれ女の子!

「みんなのふこう」その2

2011-10-04 20:23:23 | ミステリ・サスペンス・ホラー
そのほかにも、瞳子と友人のやりとりしたメールや、駒持警部補の取り調べ記録ビデオ、アシスタントのサイトくんの日記、作家角田港大の連載エッセイ(タイトルは「無頼派びより」!)等、様々な記録を使ってココロちゃんの周囲のことが描かれます。
わたしが気になったのは、ココロちゃんがやたらと担ぎ込まれる病院に設置された貸本スペースの日誌でのやり取りです。相互会、葉崎東高校有志、ボランティアのたんぽぽという三つのグループで貸し出し当番をしていたのですが、どうもそりが合わないというか。
良書を選んで入れるべきだと主張するたんぽぽの中野さんに、東高の女の子たちが激怒。官能小説を処分するのはともかく、悪徳警官ものやクリスティまで敵視されてはねぇ。
昨今の図書館がベストセラーの複本を大量に購入することや、リクエスト本の在り方に疑問を感じるボランティアさんがいたり、見た目のイメージと求める本が違っていたりと、本に関することも話題になっています。
中野さんはたしかにやり過ぎだけど、病院の貸本に官能小説があるのはやっぱりよくないのでは。同様に東高校で保管する中にそういうのがあるのもどうかと思う。
いや、個人的に所有しているのはいいんですよ。読みたいなら、で、病院で読んでいてもなんら弊害はないなら(お見舞いの人が来ても気まずくないのですかね)悪くないと思います。だから、中野さんが自分の病室で「リンダ・ハワード」を読んでいても構いません。当番の方々はひやかしていますが、オフィシャルな場所で貸す本を選ぶんだから、自分の好みとはまた違うのは当たり前では。
文句をつけていた女子高生が「洞穴学ことはじめ」という中野さん推薦の図書を借りていく結末が好きです。岩波新書らしいけど、実際の本なんですよね? 興味あるなあ。
若竹さんはいろいろと読んでらっしゃるのだなと思いました。
さて、この本には若竹さんのほかの本の関わりもちょこちょこ顔を出します。先述した駒持さんや角田先生をはじめ、DCや江勢屋のお菓子、ヴィラ・マグノリア。わたしが忘れているだけで、もっとほかにもあるのかもしれませんが。
でも、帯のアオリはちょっと違うと思うな。「『不幸』なのか『幸せ』なのかそれは、アタシが決めること」「ココロちゃんをめぐる、究極の『幸せ探し』ストーリー!」
アタシって、誰? 幸せを探してたかなあ。「いつも前向きな17歳のココロちゃんと、彼女を見守る同い年の女子高生ぺんぺん草ちゃんがくりひろげる、楽しくて、ほろ苦い、泣き笑い必至な青春物語」とも書いてあります。
わたしの読み取り能力は錆びているのでしょうか。どこをどうとってもそうは読めないのは、もはやわたしが青春とは遠く離れているからですか。
わたしは若竹さんの真髄は、コメディータッチの中に潜む悪意だと思うのです。ココロちゃんがあのしゃべり口調を使うのは、邪気がないからだとは思いません。彼女が幸せを求めているようにも思えない。
ココロちゃんはたくましい。そして、雑な女の子だと思います。それはほっこりとした憎めなさに包まれていますが。
こうしてみると、葉崎をめぐるシリーズはかなり長大化していますね。初期作品を読み返したくなりました。
それから、ぺんぺん草嬢はもちろんですが、ココロちゃんも、本名はもしかすると今後の作品に出てくるのかなとも思いました。ラジオ番組投稿に伴う仮名なんですよね。本名とも仮名ともとれる書き方をしているように思います。
角田先生、彼女が落としたパソコンのデータは無事でしたか? 辛くあたった人だけでなく、優しい人にまで類が及ぶ、ココロちゃん恐るべし。

「みんなのふこう」若竹七海 その1

2011-10-03 21:33:18 | ミステリ・サスペンス・ホラー
新しいコーナー「真夏の過失」よりもやっぱり「みんなの不幸」の話題の方がおもしろいと思うんだけどな。瞳子ねえさん、考え直した方がいいよ。もうココロちゃんの話題じゃなくともいいし。
でもそういう語りの小説だからしかたないですね。若竹七海「みんなのふこう」(ポプラ社)です。
十七歳、誰がどう考えても薄幸の星の下に生まれたとしか思えないココロちゃん(わたしのイメージとしてはイラスト化した山田花子)が、どれだけ周りの人を巻き込んでいくのかという物語です。
中学を卒業後、施設から母親のもとへ引き取られたココロちゃんは、年齢を偽って怪しい店で働き出すも、年を聞かれて正直に話してしまうような子。今はお弁当屋さんでバイトしていますが、もらったお惣菜をすぐひっくり返してしまって駄目にしたり、注文を取り違えてしまったり、失敗にはこと欠きません。
彼女とお弁当屋さんで知り合った女子高生が、「ココロちゃんのぺんぺん草」というペンネームでラジオに投稿したことがきっかけで、一躍有名人になります。というのも、その話題の中に、現在お世話になっている農家の物置で「貴重なハーブ」を育てているという話があったのですが、それが大麻であることが発覚したから。
ニュースを読んだパーソナリティの瞳子は絶叫。ココロちゃんはどうやら警察のお世話になったような……。
でも、それがはじめてではなかったらしく、心配して会いに行った「ぺんぺん草」嬢に警察のご飯はこの葉崎署がいちばんおいしかったと語るのです。
とにかくのんきな割に破天荒。そんなココロちゃんを心配してかお弁当屋の香坂さんも面倒をみてくれますが、紹介されるアパートも仕事もどうも胡散くさい。そのたびにココロちゃんは犯罪に巻き込まれますが、なんだか現場はめちゃめちゃなのに本人は軽傷。不幸に遭う人生というよりも、彼女にひどいことをした人が軒並み不幸になっていくような……。
盗まれた絵画、怪しい宗教団体、社員に保険をかける清掃サービス会社。ぺんぺん草嬢はココロちゃんが気になって、事あるごとに訪ねるのですが、あることをきっかけに決裂します。
この場面を読んだとき、ココロちゃんも案外脳天気なだけじゃないのね、と思ったんです。「もういいです。あてにしませんからぁ。香坂さんの言ってたとおりだ」「アンタのことなんかおもちゃくらいにしか思ってなくて、ぜんぜん頼りになんないんだから、つきあわないほうがいいって。そんなことないって思ってたけど、香坂さんのほうが信用できる」
足の爪に刺さった壷のかけらを抜いてほしいと頼んだとき、ぺんぺん草嬢が拒んだときのせりふです。病院に行くようにすすめられたのにお金がないから抜いてという。ひーっ、嫌だよ。あなたなら抜きますか?
しかも、いつも語尾を伸ばしてしゃべるココロちゃん、こういうときは伸ばさないのね。
ラジオの投稿メールという設定で、しかもやたらと長いために放送はディレクターズ・カットしてあることになっています。でも、紹介されている文はカットしてある方なのかしら。そうは思えない長さなんですが。

「ユリゴコロ」沼田まほかる

2011-10-02 21:44:23 | ミステリ・サスペンス・ホラー
恋愛小説でした。いやかなりの、変化球ですけど。新聞広告に随分取り上げられていましたし、書店でまほかる本フェアが展開されていたのも頷けます。張り巡らされた伏線(息子の婚約者!)。独特のけだるさ。引かれずにはいられない。
極端にいってしまえば、手記を書いた人物はいわゆるサイコパスなのではないかと感じます。彼女は感情というものがよくわからない。近くにいる人を観察することはできるけれど、共感はできない。
彼女の周囲には死が溢れ、モラルとか悲嘆のようなものは見当たらないのです。でも、どこか恍惚としたものがある。死と隣り合わせのような。それが「ユリゴコロ」なのではないかと思ったのですが。
沼田まほかる「ユリゴコロ」(双葉社)。
ドッグランを併設したカフェを経営する亮介は、数ヶ月の間に次々と辛い体験をします。恋人・千絵の失踪、父親のガンが発覚、前後して母親は交通事故で帰らぬ人となります。
やり切れぬ思いで父親の家を訪ね、不在だったのでなにげなく見つけたノートを読んでみたら。
そこに記されたのは、ある人物の告白ともいえるもので、まだほんの幼い時期から何人もの人を手にかけてきた記録なのでした。
愕然とするのに、読まずにはいられない。亮介は父親の留守を狙って家に通い続けます。
一方、ノートとともにあった遺髪とハンドバッグが母親のものではないかと疑ううちに、幼い頃の記憶が蘇ります。入院から戻った彼の目には、母親が別人のように思えてしかたがなかったことが……。
鮮やかなラストに、それまで自分が息をつめて読み続けていたことがわかるのです。
恋。正確にはそうではないかもしれません。だけど、たった一人の「アナタ」と可愛い我が子。それは間違いなく彼女にとって特別なのです。
「新しい美沙子」は、あの手記を書いた人とは思えない普通の人物です。頼りになる働きもの。そして、自分の大切な人を守るべく行動できる。
水の中で彼女は生まれかわったのかもしれません。
しかし、塩見の件からもわかるように、死から遠ざかっているわけでもないのです。
「アナタ」の苦悩からもわかるように、死が身近にあったことに縛られるのは普通のことです。この死のおおもとが、実は違っていることに、彼は手記を読んで気づいたでしょう。彼女と暮らすうちにだんだんと揺らぎつつあった自分への嫌悪は、払拭されたでしょうか。
それにしても、愛犬に「クージョ」と名づける人はちょっとすごい。純血種のために成長しない黒いチワワのエピソードも象徴的です。
エミコさんの献身が、せつないと思いました。介護施設で、彼女の名を呼んだときの、お祖母さんの心も、苦しい。
「九月が永遠に続けば」の衝撃も、わたしには結構大きかったのですが、同じようなテイストながらハッピーエンドですよね? まほかるさんの語りは詩的なのに重い。でも重苦しくはない。
通信票を書いていたのですが、つい手が止まってしまいました……。

「隠れた薬害? 精神分裂病」その2

2011-10-01 03:19:08 | エッセイ・ルポルタージュ
ところが、この本の主眼はそんなところにはありません。なにしろ薬害についての話題は三分の一くらいしかない。
だいたい、そんなに恐ろしい薬害のある薬を、神経科医は自分で飲んでみるべきだと言うのですが、実際その通りだったら怖くてお医者さんにかかれないと思うのですが……。実直なお医者さんはみんな精神を病んでしまい、恐ろしいことになりそうですよ。誰も治せなくなってしまう。(閉鎖病棟も体験してほしいそうです)
でも、Amazonをちょっと覗いたら評価が星五つで愕然としました。皆さん、どうやらこの主張に共感しているようです。安全な薬を適切な量で、ということなのでしょうが、ドーパミンレセプターの話がその他の部分に埋没しているので、それが真実なのかどうかわからないのです。
とにかく、I先生に謝らせたいと執着するパートと、鹿児島で考えていたという小説仕立てのパートが、そこを曇らせてしまう。偽札づくりの一味が、このデザインは自分の父親(芸術家)がずっと昔に描いた作品の模倣なので著作権はこちらにあると主張する物語なんですが。(もう一本忍者ものもあり)
外国の有名銀行に、現一万円札流通以前から同じデザインを預けているから、それが真実だと主張する。なぜそういうことができるのかとか、その設計図通りに組み立てると一万円札がどんどん作れるのはどうしてかとか、根拠や説明は全くなし。
父親のデザイン説が本当なら、当時は意味のないそんな機械をどうして設計したのか。嘘なら息子はどうやって設計図を手に入れたのか。(自分で書いたなら町工場の息子を計画に誘う必要はないのでは)
I先生のことを言うと、みんなが「妄想だ」というので実在したことを確かめたいと主張していることも、とても不思議です。
周囲の人はI先生が「いない」ことを指摘しているのではないでしょう。謝ってほしいと執着している彼をたしなめているのだと思うのですが。
精神病院に入るのではなく、警察が相手なのであれば、I先生に非があることは分かってもらえるはずなのに、なんてことを考えていますが、そんなはずはないでしょう。押しかけて騒ぎを起こしたのは本人だもの。I先生のお父さんは無関係ですよ。
大学病院をやめた経緯も、I先生になびかない自分を責めて、職員や患者さんからの非難があからさまになったからだといいますが、でも、研修期間は半年しかないんですよね? それに満たない間に、みんなから嫌われるものなのでしょうか。
その間にI先生に目先を変えてもらおうと別の人にたきつけ、彼は自分が結婚してもいいといったのに、I先生が承知しなかったくだりもあります。
どうしてI先生と結婚しないのかと友人に聞かれ、「バカは嫌いだ」と答えたそうですが、そういう自覚があるならやはり名誉毀損は彼の方では。
とにかく客観的な視点が足りないように思わされてしまうのです。このテーマならやっぱり絞って書くべきではないかと思うのですが。
文芸社刊というのは、筆者の主張の方が強いんでしたっけ? 一体どういう着地をするのか気になって、つい最後まで読んでしまうパワーがあることは確かです。