中村うさぎ マツコ・デラックス 信じる者はダマされる うさぎとマツコの人生相談」(毎日新聞出版)です。
「口べた」「体臭」「しつこい自分」「警察への不満」「日本の経済破綻が心配」などなど、二人が悩みに対して語ります。
マツコさんの人生相談は以前も読みましたが、考え方がまっとうだし、そのくせありきたりではないところが好きなので借りてみました。
そのなかで「いじめ」について。
うさぎ「いじめるほうこそ病んでるのよ。厳罰よりもそっちのケアが必要」
マツコ「親がわが子を『逃がしてあげる』以外に子どもを守る手段はないわ」
というまとめがありました。
そのとき、並行して「ランドセル俳人からの『卒業』」(ブックマン社)を読んでいたのです。
著者の小林凜くんは、「ランドセル俳人の五七五」で、周囲からの軋轢に悩みながらも、九歳で朝日俳壇に入選する俳人です。
彼の苦しみに胸が締め付けられたこともあって、高校生の現在はどうなのかと読み始めたのですが。
不登校は、小学校だけでなく中学でも続きます。
「扉」に、自分が壁を乗り越えたことが書かれているので、高校では落ち着いた生活なんだとわかります。
でもね。
小学校のメンバーと一緒の進学は嫌だと、私立中学に入学したものの、耐え難い悪ふざけと管理職の対応に転校することになります。
新しい学校ではうまくいっていたはずなのに、再びトラブルがあって登校をやめることになるのです。
そのトラブルというのは、扇風機を「強でつけんなよ」と言ったのを、女の子から「きしょいと言われた!」と叫ばれて、先生四人から謝るように指導されたというんですよ。
この指導は、母がその前に学校に苦情の電話をした報復ではないかと彼は考えるのです。
苦情の内容は、体育の授業でのペナルティ(忘れ物をした人数分プラスしてランニングし、なぜかその人にお礼を言う)はおかしいのではないかという内容。
そうですね、おかしいですね。でも、「この学校では親が声を上げると、それは別の形ですべて、子どもに制裁として返ってくるからだったのだ」というのは、短絡的だと思うのです。
当たり前ですが、この本は凜くん本人からの視点です。
とにかく教師不信が強い。
ここまで思い詰めさせてしまうのは気の毒だと思うのですが、なんだか拭いきれないものも残ります。他の子には他の子なりの言い分があるはず。
ことあるごとに学校に電話をするお母さん。
お母さんも、確か小学校の先生でしたよね?
私立中学の教頭に、息子にも相手をいらいらさせる行動があると言われて激怒する場面があります。ただ、電話で相談したことの返答がこれだけなのかどうか、わからないですよね。
もしかしたら、長いやりとりの中であった一部の言葉なのかもしれない。
わたしも、中高生の頃に疎外されていたことがコンプレックスだったのですが、結構「自分も昔いじめられていたから」という人って多いなと気づきまして。
自分は自分の視点でしか世の中を見ていないけれど、他の人にとってはこだわるほどのことではないのかもしれないと考えることができるようになりました。
マツコさんも言ってます。
「私も、高校の時に同級生に悪口言われたりハブられたりしたことですごい悩んだけどさ(略)。人の悪口なんて気にしてたってしょうがないことがだんだんわかってきたからね」
疎外感を感じてしまう思考って、なかなか抜けません。でも、凜くんには俳句という武器があるんだから、その才能を生かしていけますよね。
「口べた」「体臭」「しつこい自分」「警察への不満」「日本の経済破綻が心配」などなど、二人が悩みに対して語ります。
マツコさんの人生相談は以前も読みましたが、考え方がまっとうだし、そのくせありきたりではないところが好きなので借りてみました。
そのなかで「いじめ」について。
うさぎ「いじめるほうこそ病んでるのよ。厳罰よりもそっちのケアが必要」
マツコ「親がわが子を『逃がしてあげる』以外に子どもを守る手段はないわ」
というまとめがありました。
そのとき、並行して「ランドセル俳人からの『卒業』」(ブックマン社)を読んでいたのです。
著者の小林凜くんは、「ランドセル俳人の五七五」で、周囲からの軋轢に悩みながらも、九歳で朝日俳壇に入選する俳人です。
彼の苦しみに胸が締め付けられたこともあって、高校生の現在はどうなのかと読み始めたのですが。
不登校は、小学校だけでなく中学でも続きます。
「扉」に、自分が壁を乗り越えたことが書かれているので、高校では落ち着いた生活なんだとわかります。
でもね。
小学校のメンバーと一緒の進学は嫌だと、私立中学に入学したものの、耐え難い悪ふざけと管理職の対応に転校することになります。
新しい学校ではうまくいっていたはずなのに、再びトラブルがあって登校をやめることになるのです。
そのトラブルというのは、扇風機を「強でつけんなよ」と言ったのを、女の子から「きしょいと言われた!」と叫ばれて、先生四人から謝るように指導されたというんですよ。
この指導は、母がその前に学校に苦情の電話をした報復ではないかと彼は考えるのです。
苦情の内容は、体育の授業でのペナルティ(忘れ物をした人数分プラスしてランニングし、なぜかその人にお礼を言う)はおかしいのではないかという内容。
そうですね、おかしいですね。でも、「この学校では親が声を上げると、それは別の形ですべて、子どもに制裁として返ってくるからだったのだ」というのは、短絡的だと思うのです。
当たり前ですが、この本は凜くん本人からの視点です。
とにかく教師不信が強い。
ここまで思い詰めさせてしまうのは気の毒だと思うのですが、なんだか拭いきれないものも残ります。他の子には他の子なりの言い分があるはず。
ことあるごとに学校に電話をするお母さん。
お母さんも、確か小学校の先生でしたよね?
私立中学の教頭に、息子にも相手をいらいらさせる行動があると言われて激怒する場面があります。ただ、電話で相談したことの返答がこれだけなのかどうか、わからないですよね。
もしかしたら、長いやりとりの中であった一部の言葉なのかもしれない。
わたしも、中高生の頃に疎外されていたことがコンプレックスだったのですが、結構「自分も昔いじめられていたから」という人って多いなと気づきまして。
自分は自分の視点でしか世の中を見ていないけれど、他の人にとってはこだわるほどのことではないのかもしれないと考えることができるようになりました。
マツコさんも言ってます。
「私も、高校の時に同級生に悪口言われたりハブられたりしたことですごい悩んだけどさ(略)。人の悪口なんて気にしてたってしょうがないことがだんだんわかってきたからね」
疎外感を感じてしまう思考って、なかなか抜けません。でも、凜くんには俳句という武器があるんだから、その才能を生かしていけますよね。
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