11月も後わずかである。平年と比べて暖冬になりそうな気もするが、この先のことは分からない。明後日からは師走である。江藤淳の「スターもなく、唄もなく」というエッセイが思い出されてならない。平成の幕開けは景気がよかったものの、もう一つパッとしなかった。そこで江藤は「平成元年の日本には流行歌、ヒット曲というものが一つもない。景気がいいというのに、流行歌が一つも生まれない年というのがかつてあっただろうか?」と嘆いたのだった▼平成は30年を数えるに至った。今もって「スターもなく、唄もなく」というのは変わらないのではないだろうか。国民誰しもが口ずさめる歌はどこにも見当たらないし、スターと呼べる存在はどこにもいない。日本人であることの共通の基盤が壊れてしまっているからだろう。日本人同士が分断され、罵りあっているような状況下では、国民がこぞってということにならないのである▼江藤は「帰る場所」という言葉も私たちに残した。「私は喪失感を主張しようとしても、正義を主張しようとはしなかった」(『崩壊からの創造』)とも書いたように、我が国の敗戦によって失われた、ささやかな暮らしにこだわった。大久保百人町の住宅街がなくなり、連れ込み旅館ばかりになったことに憤ったのである。共同体としての一体感を失い、「帰る場所」もないとすれば、私たちはどうすればいいのだろう。平成も終わりに近づき、日本について思いめぐらすべきときなのである。
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