草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

統治能力がなければ保守新党は一過性に終る

2023年09月02日 | 政局
 日本の政党史をみていくと、政権を担う政党というのは、自由党系が主導権を握った憲政党と伊藤博文系の官僚が立憲政友会を、立憲政友会を敵とする立憲国民党改革派と桂太郎系の官僚が立憲同志会を立ち上げ、それが発展的に立憲民政党となったように、立憲政友会も立憲民政党も統治能力のある官僚を引き入れている。
 戦前においても、議会制民主主義は機能していたのであり、その悪戦苦闘の歴史から学ぶべき点は多いのである。日本丸の舵取りをするためには、政治家が方向性を示すことは大事ではあるが、具体的な政策を実現するには、背後に官僚組織が控えていなければならないのである。
 もちろんポピュリズムによって大衆を動員することは可能ではある。しかし、それは長続きせず、自分たちの勢力を維持するには、絶えず敵をつくり、内部的にはりつめた緊張感をつくりださなければならない。それがナチズムやスターリン主義の特徴なのである。
 昨今の百田新党騒ぎをみていると、一過性に終ってしまう気がしてならない。星亨や原敬、さらには吉田茂という人たちのように、官僚組織を動かすだけの人材が見当たらないからである。
 官僚政治を打破するというスローガンを叫ぶのはたやすい。それよりは官僚組織を使いこなせなくてはならないのである。
 そういう観点からすれば、自民党の保守をバックアップし、それに協力する官僚との連合がこそがもっとも好ましいのである。危機が迫っている中で、保守政党が乱立するのを喜ぶのは外国勢力である。そうしたことを肝に命じながら、新党問題を論じるのが本当の政治のプロではないだろうか。

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