草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

胆石の手術で痛感した家族の絆

2010年08月18日 | プライベート

胆嚢を摘出するために、会津若松市の竹田総合病院に入院した。交通事故で担ぎ込まれたことはあったが、全身麻酔というのは、私にとっては初めて。それだけにチョッピシ不安もあったが、現代の医療技術にはビックリした。絹田俊爾医師が執刀したが、腹腔鏡下手術であったために、臍ともう一箇所に穴を開けただけで、傷がまったく残らなかったからだ。今のところは後遺症もまったくないが、そこで痛感したのは、日本人の家族の絆の強さであった。

二、三年ほど前から胸焼けがしてならなかったが、二ヶ月ほど前に、会合で天婦羅を食べたら、胸焼けがして我慢ができないほどだった。それが気になったし、若い頃に十二指腸潰瘍をやったこともあるので、7月21日に知り合いの開業医のところに出かけて胃カメラの検査を受けた。胃そのものは問題がなかったが、エコー検査で胆嚢に石が見つかった。「痛くなったらば、手術した方がいいですよ」と言われたので、気になってネットで調べてみた。すると、右の背中がこったり、胃に不快感があったりするのは、胆石の症状だというのを知った。

このままにはしておけないと思って、その日のうちにその開業医に電話をかけ、竹田総合病院を紹介してもらった。翌日7月22日午後には、外科の絹田医師の診察を受けて、最初は8月7日入院で、9日に手術という日程が決まった。それまでに、CTやMRAなどの検査をして、準備をすることになった。簡単な手術だからと最初は高をくくっていたが、2週間も間があると、神経が過敏になってきた。そこに病院から電話があって、日にちが早まることになり、4日入院で、5日手術ということになった。どうせなら早いほうがいいと思っていたので、すぐに飛びついた。

入院の当日は、大部屋だったこともあり、どんな人がいるのかとついつい見渡してしまった。誰も口を開くことがなく、重苦しい雰囲気があった。黙っているのもつらいので、いつもの通り、ついつい取材してしまった。その方は退院間近で、職場に復帰する意気込みに燃えておられた。大病をされたにもかかわらず、めげるそぶりはまったくなかった。二人で打ち解けて話をしていると、廊下側のベットの人が、割りこむようにして会話にまざってきた。そして、「絹田先生の腕はたいしたもんだから、心配しなくてもいいですよ」と声をかけてくださった。腸閉塞で病気で戦っておられるのに、それよりも私のことを気遣ってくださったのだ。

気が楽になったせいもあって、その夜はぐっすりと眠れた。手術の当日は、朝から点滴が始まったが、針が太かったことを覚えている。正午には手術室に入ることになっていたので、午前10時半には妻と娘、さらに義理の妹がやってきて、心配そうな顔をしていた。「頑張って」と妻に手を握られたときは、映画に一シーンのようであった。日頃家族を大事にしてこなかっただけに、いじらしく思えてならなかった。しかし、そのムードはすぐに吹き飛んだ。一般病室にいる間に、鼻から胃に管を通されたのが苦しくて、顔がゆがんでいたからだ。それでも、看護師さんから「手術室まで歩かれますか」と聞かれると、「自分で行きますから」と大口をたたいたが、手術室のドアを開けると、女医さんがそこに立っていられて、「よろしくお願いします」と頭を下げられた。

それからすぐに手術台の上に上げられたが、背中に麻酔をされた瞬間に眠ってしまい、目が覚めたときには、全てが終わっていた。石は2個あったが、コレステロールのポリープも除去された。手術室から処置室に運ばれるのを記憶しているから、タイミングよく麻酔が切れたのだろう。妻たちが入ってきて「成功だったですよ」と教えてくれたが、もうろうとしてはっきりはしなかった。時計を持っていなかったので、何度か目を覚ましたが、朝になるのが待ち遠しくてならなかった。絹田先生も顔を出されて、励ましてくださった。管がはずされていたので、自由に寝返りをうつことができた。

次の日のお昼から食事が出された。前々日の夜9時から絶食だったので、食べるのに時間がかかったが、それでもぺろりとたいらげた。そして、午後には一般病室に戻ったが、その日の夜、高熱が出たのには気落ちしたが、腹腔鏡熱というのがあるそうで、水枕で一晩ほど過ごしたが、たった一度の騒ぎで終わった。

それ以降は順調で、8月10日には退院することができた。今日は外来で絹田医師から診察を受けたが、何の問題もないと太鼓判を押された。それにしても、「単孔式腹腔鏡胆嚢術手術」を行った絹田医師を中心とするスタッフには、心から感謝したいと思う。それと同時に、胆石で悩んでいる人は、信頼できる医療機関と相談し、最善をつくすべきではないかと思った。

さらに、地元の病院で手術をして感じたことは、病人を支える家族の絆の太さである。親子関係が希薄になったとかいわれるが、実際はそうではない。老いた親を見舞う子どもたちは、懸命に尽くしているし、夫に寄り添っている健気な妻というのは、見ていても神々しいものがあった。作家の城山三郎は、晩年に妻の寝巻きの紐をつかんで眠りに付いたという。それと変わらない光景が目の前で繰り広げられていたのである。

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1 コメント

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御礼 (おヒゲ)
2010-08-20 16:00:42
先日は近著「憂国の言葉」をいただきありがとうございました。入院は存じ上げていましたが、いきなり顔を出しても失礼かと遠慮しました。手術経過、良好で何よりです。開腹しないのは身体的負担が少なく本当に素晴らしいことです。絹田医師も内視鏡下手術のスペシャリストを目指し励んでおります。なかなかのナイスガイですので今後ともご支援よろしくお願いします。神々しい奥様、ご家族にも「なによりでした」の言葉を添えて。
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