石原慎太郎には裏切られたような気がしてならない。自民党と組まないということだけではなく、マスコミから脚光を浴びて生きてきた人間は、やっぱり目立った場所に立ちたいのだろう。石原は三島由紀夫が危惧していた通りであった。それも日本が一番危機的な状況のときに、政治の潮流を捻じ曲げようとしているのだから、あまりにも自己中心で姑息である。自民党は遠くない将来に、真の保守政党によって、取って代わられるべきだろう。しかし、当面は疫病神の民主党政権を打倒するのが先なのである。三島は石原との対談(「守るべきものの価値」・『月刊ペン』昭和44年11月号)で、日本人が守るべき伝統価値の中心として、「伝統なんかたった一つ守ればいいんだ。絶対守らなきゃあぶないものを守ればいいんだ。守らなきゃたいへんなものを。そうすればほかのものは、たいていだいじょうぶですよ」と天皇絶対を挙げた。これに対して石原は「座標軸をはずしたっていいんじゃないですか。はずしたほうがかえっていいんじゃないですか」と反論したのである。この一言に三島もエキサイトして、「いやいや、ぼくは君みたいな共和論者じゃない」と応酬したのだった。その当時から石原は、少しも変わっていないのである。三島が天皇絶対にこだわったのは、命よりも大事な価値が存在し、そこに身を捧げることの大切さを説いたのである。個人レベルで物事を判断する石原とは、価値観として対局に位置した。三島が自刃して42年目を迎えようとしている。三島由紀夫の壮絶な死の意味を、もう一度私たちは思い起こすべきだろう。
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野田氏は、M党内から期待されているのだろうが、日本人と日本国はますますガタガタになるから、個人プレーの石原氏は彼らをどこまで追いつめることができるか・・・である。