草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

暇空茜氏のCoLabo批判は全体主義を阻止したいからだ

2023年01月04日 | ネットの世界
 CoLaboをめぐる疑惑が露呈したことがネットでは騒ぎになっているが、今回のこの問題は、単なる会計上の不正ではなく、もっと深刻な問題を孕んでいる。
 CoLaboの代表で、共産党と深いつながりのある仁藤夢乃さんの主張は、アニメの表現の規制であり、風俗を撲滅することである。これは一見正しいことのように思えるが、リースマンの言葉に従うならば、それは全体主義への防波堤を失うことでもある。 
 リースマンは「共産主義者は、堕落しがたい、一首のクロムウェルタイプの手ごわい、禁欲的な存在のように思われる。だから権力を掌握した後でも、物理的に抑圧手段を手中に収めると同時に、イデオロギー的威圧感をも、おそらく維持するであろう」(「全体主義の権力」永井陽之助訳)と書いたのである。
 そこで、リースマンが危惧したのは、金銭欲よりも悪質な禁欲的な権力欲なのである。それは際限がないからだ。CoLaboの場合には、金銭的な不正をした可能性が高いが、それ以上に、正義なるものを前面に出している。それこそが全体主義へと、我が国を引っ張っていくのである。
 マスコミが大ぴらにCoLaboなどを批判できないのは、男女共同参画という、もっともらしい大義名分があるからで、フェミニズムの立場から、男性優位の堕落を徹底的に攻撃しており、異論を唱えにくい。
 しかし、暇空茜氏らは、CoLaboの危険性に気づき、勇気ある行動に出たのである。その意義を私たちは理解しなくてはならない。自民党などの保守政党は、清濁併せ飲む傾向がある。しかし、共産党などはそうではない。きれいごとを口にして、最終的には、全体主義国家を目指しているのだ。そんなことにならないようにするためにも、暇空茜氏を応援しなくてはならないのである。
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