草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

熱狂的な法悦状態の日本人には正論は通じない

2022年11月24日 | 祖国日本を救う運動
 大衆迎合主義に舵を切って、我が国にいいことがあるのだろうか。憲法上認められている財産権の行使にまで干渉するようでは、大混乱をするだけではないだろうか。
 そんなことをすれば、収拾が付かなくなるのは誰の目にも明らかである。親が取得した財産は、子供のものだという決めつけは、一体何を根拠にするのだろう。資本主義という制度は、勝ち組と負け組があり、勝算があると思って事業を展開したのに、実際には裏目に出る場合もある。そのときに、親は子供に対して責任を負うのだろうか。
 創意工夫を重んじて、様々なイノベーションを達成していくから資本主義なのであり、全体主義的な計画経済とは様相を異にするのである。
 勝ちも負けも許されない。そんな社会のどこに進歩があるのだろう。理不尽なまでに財産を宗教団体につぎ込むことについては、常識の範囲というコモンセンスがあればいいのであって、法的に縛るというのはとんでもない暴挙である。
 唯一神とは無関係な日本人は、ありふれた常識論で宗教を語ろうとする。信仰を金で買うという免罪符などを理解することは、とうでいてきないのである。
 それにしても今の事態はあまりにも異常である。安倍さんを「殺害した」とされるテロリストが語ったと言われることが独り歩きしてしまったのである。イザヤ・ベンダサン(山本七平訳)の『日本教について』で書かれれていることが、またもや繰り返されているのだ。
「『語られた事実』が『事実』とされ、それが次から次へと重なるたびに事実から遊離し、最終的には言葉がついに『音』『声』『リズム』に分解して、言葉として機能しなくなる。そしてそこが、その限界です。これが私が前に申しました『止め』で、ここで一切の言葉はなくなり、人々はリズムと掛声だけによる行動に移ります」。
 そうした熱狂的な法悦状態に入ってしまっているのが、愚かな日本人なのである。まさしく思考停止状態である。テロストの口にしたとされる言葉も、あくまでも間接的な伝言ゲームでしかないのに、魔女狩りに使われ、日本の政治が迷走を続けているのだ。
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