草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ネット規制が行き着く先は人間が蟻塚の蟻になることだ!

2016年11月28日 | 思想家

ネットの世界で言葉狩りが行われている。どのような基準があるかは不明確である。民族差別的なことを理由にして、フエィスブックの使用に制限がかかったりしている。自由な言論空間が徐々に狭まってきているのである。人間の思考が水平化され、誰もが同じ通り一遍のことを書き、口にするのが望ましいのだろうか▼煩雑な作業にならないようにするために、人工知能が思いのままに人間の言論活動を制約する時代が確実にやってくる。そして、言葉を使えなくすることが、いつしか無意識の世界をも拘束するようになるのである。今年の流行語大賞の候補についても、特定のイデオロギーの人間が選んだこともあり、あまりにも国民の意識と隔たっていた。民進党代表の蓮舫に関するものは一切取り上げられなかった。違法人、二重国籍ほどネットを騒がせた言葉は、まったく無視されたのである▼ドストエフスキーの『地下室の手記』(江川卓訳)の主人公は「二二が四というのは、もう生ではなくて、死の始まりではないのだろうか、すくなくとも人間は、なぜかいつもこの二二が四を恐れてきたし、ぼくなどはいつまでもそれがこわい」と述べるとともに、「二二が五だって、ときには、なかなか愛すべきものではないだろうか」と苦言を呈したのである。言葉を制限するというのは、人間が蟻塚の蟻になり、疑問を呈することもできない水晶宮の住人に甘んじることなのである。

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