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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

大陸浪人を支持した日本国民

2010年02月12日 | Weblog

 日本がアジアとどのように結びつくべきかは、大きな課題であることは、認めざるを得ないよ。先の戦争についても、日本軍の侵略ばかりが強調されているようだけど、そればかりではなかったんだよね。欧米からアジアを解放する戦いと位置づけていたわけだし。インド、ビルマ、インドネシア、ベトナムなどは、戦後になっていくら欧米諸国が植民地に戻そうとしても、一度火がついたもんだから、独立を奪い返すことはできなかったというのが真相じゃないかな。侵略者と批判される側面があったことを否定するつもりはないよ。でも、もう一つの側面があったことも忘れるべきではないよ。インドのネール首相が日本に感謝していたのも確かだし。葦津珍彦は『明治維新と東洋の解放』のなかで、「日本人のなかにあっても、概していえば政府や軍を支配したものがナチス型の精神であり、権力に遠い一般国民の意識の根底にひそむものが、日本的道義思想であったということもできるであろう」と書いていたっけ。そうした国民の支持をバックに、孫文の同志となった宮崎滔天、山田良政らの大陸浪人が活躍したんだよね。とくに、山田は革命軍に身を投じて戦死している。国民レベルでアジアへの連帯感があったんじゃないかな。ナチズムというのは、強者の権利を主張しただけ。日本の国民はそんなイデオロギーに振り回されたのではなく、もっと素朴な感情的なものだったはずだよ。鳩山由紀夫首相がしきりと口にする「東アジア共同体」というのが、どことなく胡散臭いのは、経済の成長を達成するための戦略として練られているからだよね。必ず国家間の利害は衝突するから、もっと国民レベルの視点がないと。民主党中心の鳩山政権のように、膨張する共産中国に唯々諾々と従うことは、抑圧されている少数民族や中国国民を敵に回すことになりかねないし、あまりにも韓国と接近し過ぎると、民族対立をあおりかねない。思想的な意味で、アジアとしての共通のベースをまずは確認してからでないと。火傷してからでは遅すぎるから。

 

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小沢独裁を許す平等の思想

2010年02月12日 | Weblog

 民主党の小沢一郎幹事長を支持する人たちには、一つの特徴があるよね。「生活が第一」というスローガンによって、格差をなくして平等を求めているみたいだから。その思想を実現するためには、独裁を受け入れてもよいと思っているんじゃないかな。しかし、格差がない社会などは考えられないし、せいぜい是正処置が講じられるかどうかだよ。平等という理念を振りかざせば何でも許されると考えているから、民主党は小沢独裁を認めてしまうんだよね。それって、共産主義社会をこの世に誕生させるために、「プロレタリア独裁」を容認してしまうのと同じでしょう。これに対して、真の保守主義とは、家族のなかから生まれた公徳心を大切にするし、国家観にしても、エドモンド・バークが「国家は、あらゆる科学における合同事業であり、一切の学芸における合同事業であり、あらゆる徳、すべての完成における合同事業である。このような合同事業の目的は、多くの世代によっても達成されえないのであるから、それは生ある人々と、死者と、および生まれてくる人たちの合同事業なのである」(『フランスにおける革命の考察』)と書いていたっけ。やっぱり、空想的な観念論に立脚するんではなく、社会的な慣習や伝統を尊重しながら、一歩一歩踏み固めて前進しないと。小沢や民主党はそうした配慮に欠けるから、混乱だけしかもたらさないんだよね。政権交代をしたからと、前政権をすべて否定しようとして、かえって行き詰っているんだから、あまりにも愚か過ぎるよ。

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仰ぐべき先人影山正治

2010年02月11日 | Weblog

 できもしないことを国民に総選挙で約束して、その期待を裏切っただけでなく、民主党は国の根幹を揺るがすことをやっている。それって由々しきことだよ。とくにひどいのは、二枚舌を使っていることだよ。鳩山首相や小沢一郎幹事長へのブーメランは、怒りを通り越してあきれるばかりだよ。政治改革を旗印にして、改革派と守旧派のレッテルを貼ったのは、誰あろう小沢であったし。鳩山も秘書が罪に問われれば、政治家はバッチを外すべきだと言っていた。政治家が言葉を持って国民をリードすべきなのに、言行不一致を許す国民はいないよ。それに日本の歴史と伝統を冒とくしている。民主党政権の誕生によって、日本の政治が混乱すればするほど、維新革命家への期待は大きくなるんじゃないかな。仰ぐべき先人として、私たちは大東塾の影山正治を忘れるべきではないよ。影山は愛知県で生まれ、国学院大学で松永材の指導を受け、日本主義に目覚めたといわれる。松永は会津中学で教鞭をとったこともあり、白虎隊を礼賛していたから、その影響を受けたと思うよ。影山は昭和8年の神兵事件で下獄し、戦時中は東条英機に反発し、反軍運動を展開した。戦後は大東塾の運動に携わり、文筆家、歌人としても名をはせた。元号法制化を訴えて自決したのは、昭和54年5月25日。享年68歳だったんだよね。その影山の若き日について、友人が描写した文章があるけど、昭和の高杉晋作と言われていたんだよ。「弱冠20有余歳、人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬る蒼白の顔色、長く左右に切れた鋭い眼、秀でた顎骨、高き二段鼻、一文字に締った口許。所詮、シュプランガーの権力的、政治的類型そのままに、断固たる信条に基く独断専行、機略縦横は、そぞろに維新史学徒として、長藩の東行高杉先生を彷彿せしむるに充分ではなかったか」(昭和10年7月号の『日本主義』・神谷英三執筆)。草深き地方に埋もれた者にとっては、名誉とか地位とかは無縁なわけだけど、志だけは影山のように持ち続けたいよね。この国を救うためにも。

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正義を明らかにせんとした三島の諌死

2010年02月11日 | Weblog

 今年は例年になく雪が多いような気がするけれども、雪をとりわけ好んだのが三島由紀夫だよね。伊沢甲子麿が「三島由紀夫の精神」で書いていたっけ。昭和26年の冬、伊沢は三島と一緒に、学芸大学の近くにあった三島家から、激しく雪が降るなかを渋谷まで歩いたんだって。そのときに三島が「ぼくは雪が好きなんだよ。とくに雪の降る町が好きだ。雪はよごれきった都会を美しい銀世界へ清めてしまう」としみじみ語ったとか。三島が生前約束していたことを果たすために、伊沢が会津若松市を訪れたのは、昭和46年のことだよ。白虎隊ゆかりの会津ということもあって、三島は講演することを承諾していたが、それがかなわぬこととなったために、代理を頼んだんだよね。三島が義挙を行ったのは、前年の11月25日だったわけだから。伊沢が歌や漢詩を朗々と吟じるのに聞き惚れていたともいうし、信頼する心の友に託することになったんだと思うよ。その講演会で伊沢は、三島がもっとも心酔していた「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」という吉田松陰の辞世の句を、声高らかに吟じたそうだよ。混濁の世を清めんとした三島は、「後に続く者を信ず」と死んだんだよね。今こそ三島の死の意味を噛みしめないと。

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鳩山政権がもたらす秩序崩壊

2010年02月10日 | Weblog

 日本という国家が根底から崩れつつあるんじゃないかな。自衛隊や警察も守るべきものを見失ってしまっているよ。それって緊急事態でしょう。池田龍紀が『ロストコマンドワールド』という本で、秩序動揺の事例として、60年安保でのことを書いていたっけ。そのときは数十万のデモ隊が国会の周辺を埋め尽くした。ほとほと手を焼いた岸信介首相が、赤城宗則防衛庁長官に自衛隊の治安出動を打診したところ、断られてしまったんだよね。しかたなく、テキヤ、博徒の稼業集団を動員することまで計画されたんだって。でも、そうした混乱下にあっても、自衛隊や警察の士気は高かったから、岸首相は退陣しても、当時の体制が揺らぐことはなかった。民主党を中心にした鳩山政権の場合は、そう生易しくはないよ。国の根本を外国勢力に売り渡すことになりかねない、永住外国人への地方参政権の付与法案を国会で通そうとしているんだから。治安や防衛に携わる者たちの反発も大きいよ。秩序の動揺が崩壊にいたるかどうかは、池田に言わせると「秩序を支える側すなわち正当性を担う勢力の指導集団」にかかっているそうだけど、かなりやばいことになると思うよ。日の丸を手にした国を思う者たちのデモ隊を、間違っても治安当局が蹴散らすなんてできるはずがないし。日本が危機であるのを痛感しているのは、彼ら自身でもあるわけだから。

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常民を語らずして地方を語るなかれ

2010年02月10日 | Weblog

 民主党を中心とする鳩山政権は、構造改革を進めた小泉政権を批判するけど、公共事業の大幅削減に見られるように、大筋においては変わりがないよね。それでいて「地方主権」とか言うのも、どうかと思うよ。丸山真男は岩波新書の『日本の思想』で日本の近代国家の発展のダイナミズムを分析していたっけ。中央を起動とする上から近代化と同時に、「むら」あるいは「郷党社会」をモデルとする人間関係と制裁様式が、底辺から立ちのぼってあらゆる国家機構や社会組織に転位してゆく、下から上へのプロセスもあった。この両方向の無限の往復からなっているという見方をしたんだよね。簡単に言うと、情を重んじた「むら」としてのまとまりや団結心を否定するのではなく、その上に近代国家ができあがったというんだよね。例えそれが擬制化であり、混乱も生じさせたとはいえ、無視できないものとして「むら」があったんだよ。昭和30年代を境に農村社会が崩壊し、米作りを中心とした信仰のベースも失われてしまった。そんななかで、今さら地方主権という言葉を持ち出しても、ピンとこないよ。「補完制の原理」というのも、できるだけ身近な問題は地方が担当し、それが不可能であれば、国や県に任せるというだけでしょう。やっぱり、柳田国男が主張した「常民」という概念がもう一度見直されないと。柳田は「人の所業は如何に貴賎軽微なものにも、動機なくして現われ、理由なくして持続するものは無いということが明らかになった」(『国史と民俗学』)と書いている。だからこそ、日本民俗学を学問化しようとしなんだよね。それは同時に「我々平民から言えば自ら知ることであり、即ち反省である」(『郷土生活研究法』)わけだから。「むら」としてのまとまりや団結心を支えていたのは、日本人の素朴な信仰だよ。そこに目を向けずして、地方や地域を重視するという議論は、まったくの御門違いだよね。日本人という視点が、鳩山由紀夫にはすっぽりと抜け落ちているんじゃないの。

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太宰治と鳩山由紀夫

2010年02月09日 | Weblog

  貧乏に生まれたかったのに、それがかなわず、自らの境遇になじめず、最終的には死を選んだのが太宰治じゃないのかな。大地主の子供であったことを恥じる心は、まっとうだと思うよ。鳩山首相とは大違いだよ。「私は皆さんと違って恵まれていたんです」と平気で居直って、母親から月に1500万ももらっていたことを正当化し、清廉潔白みたいなことを言っているわけだから。とんでもない金額を脱税したのに。太宰はどこまでも、自分に正直だったんだよね。いかに共産主義の非合法運動に加わっても、プロレタリアにはなり切れないのを思い知らされたんじゃないかな。鳩山のように、「国民目線」とか言っていながら、実際は50億の資産があって、のうのうと暮らしているのとは違うよ。金持ちであることの罪の意識が、わが身をさいなむことになったんだから。太宰の『人間失格』には、取るに値しない主人公を、それこそ優しく遇してくれる女の人たちが登場する。見境なく情を通じてしまうその男を許してしまうんだけど、それでかえって主人公自身が深く傷つくんだよね。私小説ではないにしても、太宰の影が色濃く出ているともいわれる。それと比べると、鳩山には、太宰のような誠実さがないし、単なる二枚舌でしかないよね。鳩山政権や民主党に期待できないのはあたりまえだよ。

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詩心なき政治家小沢一郎

2010年02月09日 | Weblog

  民主党の小沢一郎幹事長が吉田松陰や高杉晋作になれないのは、詩人でないからだよ。生まれながらにして詩人的な素質を有する人間でなければ、後世に名をとどめることは難しいよ。現実政治のなかで手練手管を身に着けたとしても、革命を行うのに、一番大事なものが欠けているから問題なんだよね。それと比べると、2・26事件の青年将校は、詩人特有の情熱はあったけど、実際の政治を理解していなかった。だからこそ、むざむざ敗退することになった。でも、詩情によって突き動かされた人間のほうが、純粋であることは否定できないよ。長州の萩に出かけて毎回思うことは、明治維新を成し遂げた者たちの生家が、あまりにもつつましいということ。そこからうかがい知れるのは、詩心によって培われた志の高さだよ。しかも、革命家といわれる人たちは。若くしてこの世を去っているし。不羈奔放な快男児であった高杉は、金銭的にはルーズで、自分が死んだら、墓の前で、芸妓を集めて三味を鳴らしてくれと言ったという。そうした破天荒が許されたのは、やっぱり詩人だったからだよ。小沢には真の意味での革命家ではなく、単なる謀略家でしかないと思うよ。身を処することにおいて、詩心というか、美意識がない人間だから。

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憲法で命拾いした鳩山首相

2010年02月08日 | Weblog

 日本国憲法に目を通してみたけど、崇高な理念を掲げているわりには、国家としての根本を骨抜きにしているよね。自衛権が明記されていないばかりか、非常事態に対応するすべもないわけだから。唯一笑ってしまったのは、第75条。国務大臣の特典という文言で、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」と書かれているんだよね。「但し、これがため、訴追の権利は、害されない」とは謳ってはいても、それはあくまでも付け足し。広辞苑によれば、訴追の意味は「検察官が特定の事件につき公訴を提起し且つこれを追行すること」だって。鳩山由紀夫首相が起訴されなかったのは、憲法でそもそも守られていたからだよ。総理大臣が法に触れることをするはずがないというのが前提だから、大きな権限を付与しているんだ。しかも、今回の場合は、鳩山首相が自分で自分を追い詰めるはずもなく、起訴されることを期待する方が無理というもの。そして、鳩山首相も逃れたのだからということで、民主党の小沢一郎幹事長もセーフとなっただけ。いうならば、国策捜査の限界でしょう。それなのに、二人して清廉潔白みたいなことを言うのはどうかと思うよ。その辺の事情がわかっているから、国民もあきれて民主党を見放すことになるだろけど。

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コスモポリタンの鳩山民主党

2010年02月07日 | Weblog

  民主党は綱領もない政党だそうだけど、それっておかしな話だよね。選挙互助団体だから、当選するためには、できもしないマニフェストでも罪の意識がないわけだし。そんないい加減な政党だから、憲法についても無理解、無関心だよね。だからこそ、小沢一郎幹事長は、平気で天皇を政治利用したんだよね。政治学者の橋川文三は、三島由紀夫が考えていた天皇制について、「日本文化における美的一般意思」と定義していたっけ。かみ砕いて言えば、日本人のあらゆる文化を決定付けている型というのは、日本の天皇制を無視しては語れないということだよ。日本人であるという宿命を引き受けたからこそ、三島が「天皇陛下万歳」と叫んで腹を切ったんじゃないかな。そして、万世不易の民族の一般意思としての大御心に添うことが、変革の原理になりうるという確信を抱いていた。かつて東大全共闘と討論をしたときに、コスモポリタンじみた質問をした学生を揶揄したのは、精神的に無国籍な人間を軽蔑したからだよ。「いくら英語がしゃべれても、胴長の日本人であることからは逃げられないよ」とか言って。鳩山由紀夫首相が、コスモポリタンじみているのも、現実を直視するリアリストとしての目がないからだと思うよ。鳩山は何かすると地球全体の命を話題にしたがる。でも、まずは国家国民でしょう。そこから出発しても、世界や地球の命の大切さを説くことはできるんだから。鳩山や民主党は日本人であることをまずは自覚しないと。国益を損なってしまうよ。

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