経済を学んでいた学生たちに、「興味を持っているのは、マル経(マルクス経済学)か近経(近代経済学)」と尋ねたのは1980年代までかもしれない。91年のソ連崩壊後は、経済学の分野でもマル経の人気は急速に低下していった。大学の書籍購買部からもマル経の本は消え、その代わりに近経の流れをくむマクロ経済学(ミクロ経済学を含む)が学生たちの関心の的となって行った。
よみがえるケインズ学説
マクロの経済政策としてはケインジアン(ケインズ経済学)と新古典派経済学の対決となる。新古典派の代表格ミルトン・フリードマンは1960年代までは異端とされた。しかし1970年代の世界的なインフレと失業でケインズ的な政策が限界をきたし80年代に入り、にわかに新古典派が増長。学生たちの間では「ケインズ経済は死んだ」ケインズ的マクロ経済は「どマクロ」とまで揶揄されるようになった。しかし90年代バブル崩壊、2008年リーマンショックを経て、再びケインズの学説が見直されてきた・・。
伊藤元重著『マクロ経済学』を読む。たった1冊の書物ではありますが内容は濃かった。現在の経済学を取り巻くトレンドをうかがい知ることができた。マクロ経済学らしく統計データ、数学的モデルの説明も豊富で、演習問題が各章ごとに挿入されている。とても理解しやすい構成だ。昔はこのような教科書は見当たらなかった。
インフレ政策が万能か
安倍政権の政策を念頭に考えて読むと、デフレの記述が面白い。デフレ→低金利→物価下落→政府借金の利子負担少ない。デフレは企業家の投資意欲は低いが国債を支える膨大な貯蓄資金を金融市場に呼び込む・・。つまりデフレだからといってまんざらマイナス面ばかりではない。デフレの現象よりも経済の低迷、消費の減退は他に本質的な原因を抱えているしそこに改革の糸口を見出さないと真の解決はできないように感じる。
戦争、原発に無縁の経済は
本書では、「穴を掘っては埋める」という有効需要の拡大の意義は認めるもののその経済行為の典型が戦争かもしれないと指摘する。第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など多くの経済的需要(特需)を生み出しマクロ経済も大きな影響を受けます。苦境にあった日本経済には大いに刺激回復になった。もちろん戦争のこうした経済効果が戦争を正当化するものではないことはいうまでもありません。優等生的な回答ですが、マクロ経済学とはいえ戦争の有効需要を全面否定しにくく苦しい解説にはなっている。長期間ダラダラと工事のための工事のダム建設、国策という大義を傘にした公共投資で乱造されてきた原子力発電所・・。
グリーン経済政策に希望が
経済学の分野も知れば知るほど、両側面あって真髄をつかみきれない。ただ経済学は、解釈次第で左右される政治学などとは違い、世界中の多くの国で共通の数値をもとに同じ土俵で扱われることができている学問だ。デリバティブ(金融派生商品)だのヘッジファンドだのと、またまた曲線と数式で攻め立てられると凡人には分けが分からなくなる。しかし、世の中は経済を中心に回転してしていることは事実。そんな中でもグリーン経済成長(省エネ、再生エネの活用など)のロマンもないわけではない。身近に最新の経済学を学んでいる若者の知り合いがないのは残念ですが、経済の知識とその流れは現代に生きている限り最低限は身につけておきたいものです。
町長選、町議選。地方自治にもマクロ思考を
きょう大泉町長選、町議選は告示されました。「○○区の地元候補○○でございます~」のウグイスの声は夏のお祭りを連想させられる。思わず「アッソーレ、ソーレ」と応えたくなってしまう。山車が選挙カーに変身、地域対抗合戦は盆祭りや町民体育祭のよう。政治の「政」を「まつりごと」とはよく言い当てたものだ。ポスト「企業城下町」のビジョンを町民にどう提示し具体化していくか次期首長、新町議さんたちにも自治体レベルでのマクロ経済学的な思考(GDP、物価上昇率、雇用率向上指標)は大いに参考になりそうです。
マクロ経済学 第2版 | |
伊藤元重 著 | |
日本評論社 |