ポポロ通信舎

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友情の義に殉じた大谷吉継

2013年03月01日 | 研究・書籍

大谷刑部少輔吉継(おおたに ぎょうぶ しょうゆう よしつぐ)、私の好きな武将の一人です。

石田三成の企てを無謀と知りながら、親友であった三成の義のため戦場に立った。51対49の形勢不利な戦いであえて49を選んだ関ヶ原の仁将、大谷吉継。

大谷吉継(1559-1600)42歳の生涯。生まれは近江の国(滋賀県)小谷。三成は諸大名に憎まれたが吉継を嫌う諸候はなかったという。ハンセン病を患い常に白頭巾姿。歌の号でもその姿からか「紀介白頭」と署名。その主君に仕えた大谷派の筆頭武将、平塚為広は詠む。

「名のために捨てる命は惜しからじ、終(つい)に留まらぬ浮世と思えば」

と残して見事に散って逝った。平塚為広の子孫に婦人運動家の平塚雷鳥がいる。

徳川家康の二枚舌天下取りの詐術に、とことん付き合うか、それとも愚直に義に殉じるか・・。関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋軍勢につづき脇坂安治ら4大名の裏切りにより包囲され戦場で自刃。人にはそれぞれの歴史と生き方があるものだとつくづく思う。 友情と義・・

関ヶ原随一の智将 大谷吉継  「昔、茶会があった・・」

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大谷吉継
歴史街道編集部
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