ポポロ通信舎

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『未完の昭和史』 東毛の義士 須永好(1)

2012年07月27日 | 須永好 研究

今年の梅雨明けとともに熟読した一冊、須永徹著『未完の昭和史』。
1986年4月第一版。1986年(昭和61年)といえば当方の母が逝った年、チェルノブイリの事故のあった年でもある。著者須永徹(以下敬称略)が小川省吾衆議院議員の秘書だった頃の書だ。本の帯には小川省吾代議士の言葉が記されている「郷土の大先輩・須永好さんの生涯を、その孫である徹くんが実にみごとに描いています。上州人の喜びや悲しみを越えて、人間解放の叫びがきこえてくるようです」。

現役の時は時間的な余裕がなく机の横に積んで置くだけの、いわゆる“つん読”書がドンドン溜まっていった。私にとって本書はつん読の部類ではなかった。一回通読している。しかし年月を経た今、もう一度読んでみたくなりこのたびは時間にまかせ熟読してみた。これは次世代に語り継がなければならない東毛の、いや群馬、日本の農民運動の歴史を語る上でも貴重な証言の書と改めて知った。

歴史に残る無産村強戸

原発事故という社会的公益を害する(=公害)問題が起きた今、そのルーツは足尾鉱毒事件、万策が尽き天皇へ直訴を行った田中正造代議士と被害農民のたたかいにその精神があったように思われる。その同じ流れに東毛(群馬東部)で、小作農の組合を組織し日本で初めて“無産村・強戸※”を実現させ、貧農の苦しい生活を守った人物が須永好だ。「無産村」とは保守(=地主)勢力に代わって革新(=無産※)勢力が地方自治を担ったことをいう。

※【無産】戦後は使われず死語に近いが、もともとは「資産の無いこと」、無職のこと。生産手段を持た無い賃金によって生活する労働者(勤労者)、農民(小作人)などのことを意味する。

※【強戸】(ごうど)群馬県新田郡旧強戸村、現在の群馬県太田市強戸付近


本書について、amazonの「BOOK」データベースでは、簡潔にまとめている。
「地蔵さんになった百姓の足跡。軍国主義下の日本で、さまざまな迫害と弾圧に耐えながら、「無産強戸村」を築き、10年にわたって統治した農民の勇気と知恵。まさに地方自治の原点を見る思いだ。歴史の証言として読んでほしい。」

人生短くも後世への遺訓は多い

著者の須永徹は旧群馬2区選出の日本社会党の衆議院議員。1991年11月、41歳の若さで亡くなった。彼の祖父須永好(すながこう)も同じく衆議院議員(社会大衆党ー日本社会党)。議員在職中、国会で農地改革案について代表質問後に急死する。1946年9月、行年52歳。お二人とも若くして他界された。しかしその人生は短くも数々の実績を築き、中味の濃い、後世に大きな遺産と影響を残しての生き様であった。

当広場では、本書を通しての須永好のたたかいと生涯を何回かに渡ってご紹介したいと思います。

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    未完の昭和史
元衆議院議員 須永徹著
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