ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

地域の文化誌 『足利文林』が終刊

2012年07月22日 | 研究・書籍

また一つ、身近な総合文化誌が姿を消しました。

地域有力誌でも寿命は30年か

太田のタウン誌『マイリトルタウン』2006年5月廃刊(発行期間30年)
群馬の地域文化誌『上州路』2007年7月廃刊(同33年)
足利の総合文芸誌『足利文林』2012年6月終刊(同32年)

地元の本屋の店頭から『足利文林』の題字が見当たらなくなるのは寂しい気がします。下野新聞の記事によりますと、これまで掲載された作品は3万点、76冊。終刊号では、発行人の中島粂雄さんが、これまでの歩みを振り返る。本誌創設者は三田忠夫さん(当時足利市役所の経済部長)、その三田さん亡きあとは佐藤里弘さん(足利市教育長)へ、佐藤さんが他界されて主宰者は今の中島粂雄さんに引き継がれてきた。

活躍した三洋OB

足利に進出した企業人たちも同誌の編さんに参画され協力してきたという。同人には木村温彦さん、安西敏浩さん、中庭光夫さん、高橋佐治さんの懐かしい名が・・。いずれも三洋電機足利事業所関連のOB達でした。

"廃炉へ"、勇断の想い

3.11原発大震災で発行人の中島粂雄は、「もう一度人類はやり直すことができるだろうか」と同誌発行を自問しパニックに陥られた。そして・・老朽化した原子炉のように「足利文林」に対する想い、情念を「止める、冷やす、閉じ込める」といった“廃炉計画”に至ったようです。一方で「足利の文林の森に、その土の中から文化の種を蘇生させ文化の樹木が生い茂るように、もっと足利の文化について考察を深めなければならないと思う」と、その心境は複雑です。

終刊号では安西敏浩さんが、「2回目の定年」と題して寄稿されている。同誌がここで“定年”を迎えて終わってしまうのはとても惜しい。なんとか第2の定年をめざしてはもらえないものでしょうか。

とにもかくにも32年間、関係皆さまのこれまでの発行のご努力には敬意を表します。

お疲れさまでした『足利文林』さん

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コメント (2)
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