三洋電機東京製作所の早期退職者を対象に、お隣りスバルの富士重工業が200人の採用をする用意があることが、各新聞地方版で報道されました。
三洋電機はパナソニックとの1月完全統合を直前に、先月末で退職者は約800人とのこと。富士重工はそのうち希望する人たちから200人を雇用し同社群馬製作所(大泉町、太田市)で受け入れるとの意向。「2社連携、地元歓迎」(上毛)、これは明るいニュースです。
三洋電機のルーツは創業、井植家とパナソニックの松下家とは元々が親戚縁者。戦後、財閥解体指定を先に読んでの義弟の離脱・独立からの出発。考えてみれば元の鞘に収まったとも言えなくはない話し。同じように三洋電機東京製作所の所在地、大泉町坂田の土地のルーツは、富士重工とともに旧中島製作所が母体。個人的な意見ですが万、万が一、東京製作所の土地をどこかに渡すとしたなら、一番の買い手は富士重工がふさわしいと思います。大泉小唄でいえば「むかし中島、今三洋~♪」の回帰です。
敗戦によってGHQ(占領軍総司令部)の前で中島製作所も一種財閥解体的に分割されたようなものでした。かつての戦闘機生産会社が当時、太田工場はうさぎのマークのラビットスクーターに、そして他方の大泉(小泉工場)は家電のテレビなどへとそれぞれ平和産業に脱皮し分かれて再建して来た道のりでもあります。
単純計算で、あとの早期退職社員600人の人たち全員にも、ぜひそれぞれ再活躍できる場が得られることを期待します。
【写真】地域の会社が協力し合っていたあの頃。バレーボール大会(1972年9月東京三洋構内 大体育館で)