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ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

親「に」なること、親「と」なること

2015年01月03日 | 教育・文化

「親になることと、親となることの違い」について昨年12月18日、28日、毎日新聞の読者投稿欄で書かれていました。

親になる、と親となるの意味の違い。親なるは自然の成り行きとしての状態、親なるには積極的な意思が表現されてくることになります。投稿された長崎市の主婦、藤井さんは年賀状の文面も「良い年なるよう」と書いていたものを「良い年なるよう」と書き直したといいます。
たしかに助詞の使い方一つで内容が異なってくる日本語は、意味の深い言語ですね。

さて親についてですが「産みの親より育ての親」といいます。「に」と「と」にはそれに類した重さの意味合いを感じます。
親になった後は、名実ともに親となるようにしなければと思います。親は本当に親「と」なっているといえるのかどうか。自戒を込めて年の初めに当たり考えてみました。

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【写真】前橋へ向かう車窓から見た今日の浅間山。(本文とは関係ありません)

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「新年あけおめ」は重複言葉です

2014年12月15日 | 教育・文化

今年も年賀状のシーズンになりましたね。

きょうは、TBSラジオ番組『荒川強啓Dキャッチ』で「新年あけまして」の重複語のことが取り上げられていました。私は小学生の頃、年賀状には「新年」か「あけまして」どちらか一方を書くことを母親から強く指導されました。しかし社会人になって世の中が年頭の挨拶、スピーチなどで「新年あけまして」を使用していることが多いことに最初は驚きでした。しかし次第に気にすることはない、と自分に言い聞かせるようにしてきました。ですが正しくは母親の言うとおりだったのです。

同番組では、目上の人への賀状文では「賀春」や「賀正」など2文字は失礼にあたり、「謹賀新年」「恭賀新年」などの4文字が好ましいとも指摘していました。

●「新年」と「あけまして」は重複しています。どちらかを使いましょう。

●複数の宛名を書くときは、それぞれに「様」をつける。

●家族写真は送り相手との距離感を踏まえて送る。

●1月1日よりも元旦と書くのが普通です。『知っておきたい年賀状のマナー』(郵便局かわら版 参照)

 

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性的少数者の権利保障実現に期待

2014年05月21日 | 教育・文化

性の形も、あり方もさまざまです。
人生いろいろ、性もいろいろありますね。

「自分がどのような性にあるのか、その認識は実に多様です。その多様性を受け入れられる法の整備を実現したい」と弁護士の南和行さんは意欲的に語る。(社会新報2014.5.14)

南さんはパートナーの吉田昌史弁護士とともに「なんもり法律事務所」を開設しゲイ・同性愛・LGBTの相談も受け付けています。LGBTとは、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー=性同一障害)のことです。だいぶ認知されるようになりましたが、それでも性的マイノリティ(少数者)として権利を保障する法的整備はまだまだこれからです。LGBTであることをカミングアウト(公表)するにもかなり勇気が要る状況です。

写真は、先進的なカナダ・バンクーバーのダウンタウンでの祭典=同市滞在経験者acko氏提供。バンクーバーでは通りにレンボー旗を掲げたレストラン街のあるDavie Villageと呼ばれているゲイ・コミュニティが発達。広く性的マイノリティへの理解と認知度が進んでるようでした。虹の6色旗はLGBT運動の象徴。個々人の多様性を尊重し、性的マイノリティが住みやすい、生きやすい社会をめざしたいものです。

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「新年あけまして」は重複語

2013年12月11日 | 教育・文化

年賀状書きのシーズンになりました。

知っておきたい年賀状のマナー。(郵便局かわら版 参照)

●「新年」と「あけまして」は重複しています。どちらかを使いましょう。

●複数の宛名を書くときは、それぞれに「様」をつける。

●家族写真は送り相手との距離感を踏まえて送る。

●1月1日よりも元旦と書くのが普通です。

「新年あけまして」は賀状以外の場でも当てはまることですが、重複流行りですね(笑)。会社や学校でも「新年あけまして」と挨拶している人が実に多い。「ら」抜き言葉が一般化しているように・・。こだわる方がおかしいのでしょうか。よくわかりませんが一応マナーとして知っておくのは良いことでしょう。

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酪農讃歌と黒澤酉蔵翁

2013年04月05日 | 教育・文化

式場で初めて『酪農讃歌』を聴きました。原曲は神聖なキリスト教の聖歌調です
酪農学園大学校歌のこの曲は日本の生協運動の父、賀川豊彦の作詞。そして作曲はその子息、賀川純基の手による。

農民と生きた田中、須永、黒澤・・

学校創設者の黒澤酉蔵(とりぞう)の名は、足尾鉱毒事件の陳情に向かった農民と警察官の衝突した川俣事件(群馬県明和町川俣)の本を読んだ時に記憶がありました。改めて黒澤酉蔵(1885-1982)を調べると太田市強戸の農民運動家、須永好(1894-1946)とほぼ同世代の人だったことが分かります。どちらも弾圧にめげず農民大衆と共に土に生きた偉人でした。

師と仰ぐ田中正造が若き酉蔵に言ったことは「国の基は国土である。これを忘れて国土をおろそかにするなら国は滅びる・・」

北海道に渡って牛飼いとなった酉蔵は「酪農3得」を座右の銘にする。1つ、牛飼いは役人に頭を下げなくてよい。1つ、ウソをつかなくてよい。1つ、牛乳は人々を健康にする。

学校PRを超えた教育動画

やがて、酉蔵は農業人を育てる学校創設や雪印乳業の創業のメンバーとなり北海道の地で“酪農天国”を築く。酪農学園の動画をぜひご覧ください。単なる学校紹介を超えた傑作だと思います。

「TPP」や「放射能」。酪農家を取り巻く環境は今後一層、厳しさを増しそうな気配ですが、黒澤酉蔵の三愛精神(神を愛し人を愛し土を愛す心)はいつまでも不滅であってほしいと願います。

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学校法人酪農学園 ~建学の心を訪ねて~

 

川俣事件―足尾鉱毒をめぐる渡良瀬沿岸誌
田村紀雄 著
社会評論社
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悲しき衛生兵 (面高春海展の残像・・)

2012年09月21日 | 教育・文化

深い闇夜の中を列車が走る・・ 気がつくとそこはテント張りの野戦病院の中。周りを見渡すと包帯をぐるぐる巻きにした傷病兵で溢れかえっている。どうやら私は日本陸軍の衛生兵のようだ。白装束の兵士たちに囲まれ正装姿は自分だけでやや不安な面持ちでいたところ、やがて上官らしき人物が現れた。

上官「お前は移送列車の中からここに到着するまでよく眠っていた。これからは不眠不休の激務になることを思い起こさないでいた」

私「ありがとうございます!ところで自分の任務は何でありますか?」

上官「負傷兵の看護、治療」

私「はッ!」

上官「それから本日第一の命令は、全軍にこれより食糧支給は一切ない旨を伝えよ!」

私「えっ 食糧なしですか!」

上官「そうだ!お前ならその連絡をうまく広報でき反発も少ないだろうと見込んでだ」

私「食糧なし、ということは、現地調達しろということですか」

上官「そうだ!!」

上官への視線をそっと顔全体を包帯で覆っている兵士の一人に向ける。彼の眼には怒りと絶望がみなぎっていた。これが追い詰められた負け戦の軍隊の現地調達命令というものか、現地調達するということは現地で略奪も可ということではないか・・これを全軍に報知せよとは・・途方にくれている悲しき衛生兵・・

お読みいただきありがとうございます。以上は私が今朝見た夢なのです。この歳まで、ここまではっきり兵士になった夢は見た記憶がありません。少年の頃はよく戦争の夢をみましたが、ここ最近は戦さものの夢とは無縁でした。思うにこの夢をみた契機は、8月末、「面高春海展」の作品の影響のような気がする。面高春海さん(三洋OB)のいくつかの絵には上部分に日本兵を連行したソ連軍のシベリア行き夜行列車が描かれている。過日の大泉町文化むらでの作品展では、来場者の一人にシベリア行を免れた旧日本兵の方がいらしたという話を聞きそれには強く印象に残った。今朝の夢の舞台は、温暖な南方戦線のようであり矛盾はありますが、夜行列車で前線に着いたということは、面高さんの絵画の強烈なインパクトだと思う。

【写真の絵画】面高春海さんの「世界のどこかで(生きる)2012年(作)」

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トロイカ(ロシア民謡) Людмила Зыкина: Вот мчится ТРОЙКА почтовая

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忘れえぬ満州の想い  面高春海展

2012年08月31日 | 教育・文化

作品の一つひとつがまず、大きのに驚きました。描かれた絵は、その大きさが表すように見る者に強い衝撃を与えました。

サラリーマンから画家に

会社退職後から画家に転身した面高春海さん。8月30日31日に群馬県大泉町・文化むらで「面高春海 作品展&トーク」を開きました。会場には面高さんが講師を勤めた「東京三洋女子高等学院」のOGの方々をはじめ旧東京三洋電機の関係者も多数訪れました。

ソ連軍の侵攻で悪夢が

面高さんは小学校3年まで満州国(現中国東北部)がふるさと。五族協和(日、朝、漢、満、蒙人の王道楽土をめざした満州国建国理念)のもと満州の地で平和に過ごしていましたが、ソ連軍が中立条約を破って侵攻してからすべてが一変した。面高少年は満州北部から命からがらに逃走してきた悲惨な日本人開拓団の人たち(黒い集団)がやってきたのを見て驚いた。作品の一つにこの時の様子がしっかり描かれている=写真下。

 

整然としていた日本人避難民

面高家は食堂を営んでいた。お母さんが黒い集団の人たちが差し出す空き缶にご飯やおかずを入れてあげた。「頑張って。元気を出してね」とお母さんも黒い集団の人たちも、ともに泣きながら。。

「北満州からの黒い集団は、日本人の整然とした態度が海外から高評価を受けた3.11東日本被災者と同じように、いがみ合ったり物を奪い合うようなことはなかった」(面高さん談)。

いつの時代も民衆は国策に翻弄され

危機的事態が迫っていることを知る関東軍(日本軍)が血相を変えて「ここから早く逃げろ!」といって食料品の入った袋を面高少年に投げて寄こした。これを聞いた時、福島の飯館村付近で、異常に高い放射汚染を知る白い防護服集団が、まだ事態の深刻さを理解していない住民達に対して「早くここから離れろ!」と言ったこととダブってしまった。「原発」も「移民」も国策。その国策が破綻した時は常に犠牲となるのは民衆、民間人・・

シベリア行逃れたご来場者

本文最上の写真の絵は2009年作『世界のどこかで(生きる)』。赤い矢印(白シャツ姿)の座っている子供が作者、面高少年。路上でお菓子を売っていたが、おつりの用意がなく叱られたという。絵の上側には列車が走っている。貨車に日本兵を詰め込みシベリアに連行するソ連の軍用車両だ。大泉町文化むらでの展示初日、見学者のご老人が、この絵を見て「自分はシベリア行きのこの汽車から軍服のまま命がけで逃げて乗らなかった」と話されたといいます。
トークタイムでは、説明される面高さんが、悲しい過酷な想いに堪え切れずおもわず言葉が詰まることが・・・。

面高さんはこの展示会を「8月」に開催することの意義を強調されている。終戦・敗戦の8月の内に。当広場も8月の意義に合わせてアップしました。

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面高春海(おもだか はるみ】(昭和11年(1936)- )満州国大連生まれ。東京三洋電機入社、同社を57歳で退職。以後画家の道に。独立美術協会 所属

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67歳大学生は三洋OG

2012年04月09日 | 教育・文化

「あっ?はっちゃんだ!!」
新聞を見て驚きました。

音信が途絶えて久しくなっていましたが、はっちゃんこと元女子寮生の太田初子さんは元気にご活躍。しかし大震災では津波に襲われ海上で漂流・・一時は死も覚悟された・・。

新聞紙上では「大泉町の工場に就職」とありますが、その工場とは東京三洋電機のことです。
長女の方が交通事故で亡くなられたのは人づてに聞いていました。その後、故郷宮城に戻られ気仙沼高校を卒業し、今春再び群馬に戻られ福祉大学に入学されたという。

試練をいくつも乗り越えくじけず、すごいバイタリティです。
当時東京三洋電機には東北出身者がたくさんいました。退職され戻られた方の安否はとても気になるところです。

東京三洋電機の礎を築かれた同社第一世代の方々は男女とも優秀で豪傑が多かった。初ちゃんもそのひとり。

「次は大学院を目指し勉強します」とのこと、大いに頑張ってくださいね。

【写真】4/8の毎日新聞群馬版

 

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優しいインディアンの包摂思想

2011年12月23日 | 教育・文化

アメリカインディアン文化のNHKカルチャーラジオ最終章、「先住民文化の世界への発信」を聴いての感想です。

ネイティヴアメリカンであったインディアンが、保留地に追い込まれて表舞台から忘れ去られて久しかった1960年代、ベトナム戦争の帰還兵やヒッピーたちによって先住民文化が見直されました。

ヒッピー(hippie)は既存の制度、慣習を拒否した60年代の若者文化。それまでの米国社会の主流層、アングロサクソン系の恵まれた富裕なワスプ(WASP)の生活スタイルに反発したヒッピーは、(1)戦争より愛(2)競争でなく調和(3)権威でなく平等(4)管理でなく自由(5)人工でなく自然、の価値観を掲げました。この価値観はよく見るとアメリカンインディアン文化とそっくり。都会の家庭を離れコミューン(共同体)で生活をする。西洋文化への落胆が先住民文化に回帰したともいえる現象でした。

戦士に向かいない男の子に強制しない

ラコタ・スー族では、男の子の中に戦士に向かない子がいることを認めていました。右手にお人形、そして左手に弓矢を示してどちらを選ぶか。その時、人形に興味を感じる戦いの嫌いな男の子には、無理に戦士はさせず別な役割を与えました。また障害を持つ子に対しても欠陥でなく差異としてとらえインデァイアン共同体は広く受け入れます。いわば包摂(ほうせつ)の思想が行き渡っていました。知恵のある者として年寄りも大切にしました。子供も老人も弱者に温かく優しい共同体を形成していたというわけです。

先進的だったSANYOの文化イベント

村の諸問題はパウワウ(powwow)の形で円陣を組み祈祷したり会議を開きます。ところで三洋電機は宣伝の一環でサブカルチャー的なイベント、SANYO POW WOW TIME を東京都内で何回か開催しました。1990年初頭、ヒット商品でいうと双眼鏡のようなビデオカメラ(ジーマ)が話題を呼んでいた頃です。まだ10代の初々しかった渡辺満理奈がゲスト出演していた時、立ち会ったのを思い出しました。このイベントなども今考えますとアメリカンインディアン文化の影響だったことを改めて感じました。

講座の中、阿部珠理先生=写真=が、自身の教育実習で得た経験から身体的に劣った子でも神に近い存在としていたわり受け入れるインディアン文化に接して「アメリカのもっとも貧しいと思われたインディアン社会で、弱者を優先する人間の愛情から発した安全保障のつながりを感じ、先住民社会から学ぶことは実に多い」とまとめられていました。

【写真】SANYO POW WOW TIME のポスター(1990)

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NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想 (NHKシリーズ)
講師 阿部珠理(立教大社会学部教授)
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松下政経塾は“大学院”か

2011年11月27日 | 教育・文化

今年は、松下政経塾1期生の野田佳彦が総理大臣になり、同塾及び、同塾創立者の松下幸之助への関心が一段と高まった年ともいえる。

10月に放映されたNHKの土曜ドラマ『神様の女房』では、妻の目からみた幸之助のサクセスストーリーを取り上げていた。財産もない、家もない、学問もない、ないないづくしの貧乏人がエレキ(電気)に取り付かれて、一歩一歩立身出世していく・・。幸之助は「人が働くことは社会に奉仕すること。奉仕と奉仕の交換で社会が成り立つ・・」と持論。そんな彼の理想社会を実現するための人材養成機関を松下政経塾には託したのだろう。

松下政経塾の「政経」は政治経済の意味でなく、国家経営のことだ。英名The Matsushita Institute of Government and Management に表れている。

松下村塾と松下政経塾

1979年、松下幸之助が私財70億円を供して創設。全寮・4年制。新しい国家経営を推進していく指導者の養成が目的。ネーミングからして幕末の志士、吉田松陰が主宰した「松下村塾」を連想させられる。

私も以前に一度、今は国指定史跡になっている「松下村塾」(しょうかそんじゅく)を訪れたことがある。山口県萩市の貧相な母屋のような一軒家であった。ここで下士(下級武士)の子弟達が学び尊攘派の拠点とした。きびしい幕府の弾圧のものに塾生たちは貧しくも理想に燃えていた。

時代も異なるので、単純比較は酷かもしれないが、松下政経塾の方は、しゃれた湘南の一角、神奈川県茅ヶ崎市にある。塾生たちへの研修費手当ては1年生が月20万円、2年次以降が25万円、他に年間100万円以上の活動資金が充てられる。塾生は、すでに国内の一流大学、さらには米国の大学院等を修了しているいわば“上士”(上級武士)たち、ハイクラス層の若者だ。そうした面からは、松下政経塾は一般の「大学院」のイメージではなくゴージャスな、しいて言うなら有給スーパー大学院といえるかもしれない。

第二保守政治家の輩出

発足当初、塾長は松下幸之助、副塾長には宮田義二(元鉄鋼労連委員長)を据えた。副塾長の宮田は、「今の自民党を一皮むきたいという気があるのです。第二保守党的なことになるんですね。そのために必要な政治家はここで、ぜひ作り上げようと」(評論家・山崎一三)

塾創設の理念を着々と実現したかのようにみえる松下政経塾。日本をとりまく現在の政治状況を果たして幸之助翁は、今どのような気持ちで見つめられれていることだろうか。

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【写真】軍部からの無理な生産要請に苦悩する松下側(NHK「神様の女房」から)

 

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ミュラー・リヤー図形に想う

2011年09月25日 | 教育・文化
昨日の関東短期大学の公開講座は、『心のしくみについて知る』。講師は同短大のこども学科、濱田祥子講師。心理系の講義で、発見の多い良い内容でした。
こころに写る世界では、外界を目や耳だけで知るのではない。私たちの判断はいつも正確だろうか?その例の一つとしてミュラー・リヤー図形が紹介されました=写真図。
上と下の中心線はともに同じ長さなのに、、左右の2本の補助線の異なる形の誘導で、上の中心線の方が短くみえます。これは「錯覚」、「錯視」なのです。
雑念の多い私は、「変わる子育て」講義の時には亡き母を思い出したが、今回は新総理の国連での情けない「原発の推進・輸出」演説のことが思い浮んだ。
2年前に政権交代した2つの政党は、きっとミュラー・リヤー図の2本の線のような感じだったのかもしれない・・・
参考動画9.19の6万デモを新首相の国連演説にも触れて報道する豪州ABC
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再婚話を子に相談した母

2011年09月04日 | 教育・文化

今年も関東短期大学の公開講座を受講しています。早いもので4年目。昨日の講義は『変る子育て、孫育て』、良い内容でした。講師は同短大のこども学科、木村たか子准教授。

「これからの就学前教育を考える」のところで「子どもの権利条約」の説明がありました。1989年国際連合採択、1994年に日本も批准。同条約の背景には、2回の世界大戦で子どもたちが大きな犠牲を受けた。このようなことが、もう起きないようにとポーランドが草案を提出。その精神的基盤はヤヌス・コルチャック先生の子どもを愛する実践から・・

同条約3条では「子どもの最善の利益を守ろう」・・講義を聞きながら私は、ふと亡母との会話を思い出していた。私が小学校低学年の頃、母に再婚話が2回あった。いずれも私の気持ちを問うた母。私は即座に「お父さんなんか要らない!そんなの不良だイ!」と強く拒んだ。。

性についても目覚めた18歳を過ぎたころ頃、私は母に謝った。「せっかくの再婚の話をボクがいつも反対してごめんね」。母は「なんせ“不良だ!”って言われたからね(笑)。でもお母さんもそれほど気乗りはしていなかったんだよ」

「不良だ!」の言葉は母も私も長く覚えていました。その後、母は再婚せず「妻」より「親」に徹した生き方を選択し、私を育ててくれた。もし母が再婚していたら私は、おそらく「新しいお父さん」には、なつかなかったかもしれない。ただ何よりもうれしかったは母が子どもの私に、一人前扱いして相談してくれたことなのです。いきなり再婚して「お父さんだ」と言われたらどうだったろうか。

実は母に引き取られる前、4~5歳の私は、父親と一時同居していた時期があります。ある日、父は若い女性を連れて来て新しいお母さんだと告げ「今日からお母さんと言いなさい」と命じた。しかし私は決してお母さんとは呼ばなかった。それには父が大いに立腹したのを覚えています。

精神面での「子どもの権利」を尊重してくれた母、対照的にそうではなかった父・・

そんなことを思いめぐらしながら教室を後にしました。

【写真】1950年代、前橋市内の写真館で。

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江口きち 資料室を訪ねて

2011年08月19日 | 教育・文化

郷土上州、武尊(ほたか)の歌人、江口きち=写真

その遺品がある川場村歴史民俗資料館を一度訪ねてみたかった。昨日、東毛地域が日中38度を超す猛暑を背に、一路清涼の地、北毛を旋回した。途中、「測ってガイガー」のリクエストにも応えながら・・

「おのずから亡びの家にうまれし子ぞ 死にまむかふはものの故にあらず」

「帰りゆく武尊は荒れてその下に住ひうごかぬ わがさだめなり」

「伝え来て村にはおのず掟あり 住みがたき子はついに去るべし」

厭世的な幻影を感じる短歌です。“女啄木”の異名もあるものの、広く世間に知れ渡った作は見当たらない。

死に装束の白いドレスが遺品として展示されていた。辞世の歌は

「大いなるこの寂けさや天地の時刻 あやまたず夜は明けにけり」

資料館の入口には今は懐かしい「二宮金次郎の像」が。私の通った若宮小(前橋)の校庭にもいた「金次郎」を思い出した。

【江口きち(1913-1938 )】大正2年群馬県川場村谷地に生まれる。川場高等小学校高等科卒業(答辞読む)。一時上京するも帰郷し沼田郵便局に勤める。雑誌『女性時代』の歌人。父親は渡世人。兄は知的障害者、妹は上京し美容院で年季奉公。母が脳疾患で死亡して以来、家業を継ぎ兄の世話をする。叶わぬ恋、父への怨念、一家の生計を背負い苦しみの末、兄を道連れに自刃、没年25歳。

測ってガイガー(群馬県渋川市吹屋付近)

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読売KODOMO新聞

2011年03月07日 | 教育・文化

今月から読売新聞社は「読売KODOMO新聞」を創刊しました。週刊月500円。これで3大紙すべてに子供向け新聞が出揃ったかたち。

「毎日小学生新聞」1945年創刊 日刊 部数未公表 月1,430円

「朝日小学生新聞」1967年創刊 日刊 12万部 月1,720円

4月施行の新学習指導要領では、再び「脱ゆとり教育」に。英語教育が小学5年生から始まる。学習面では新聞の活用も織り込まれているという。

インターネット時代にあって、あえて紙媒体を発行するその意気は立派です。小学生向け新聞の誕生は歓迎です。新聞をしっかり読んでニュースに敏感な子どもが増えてもらいたい。

こども新聞で思い出すのは、「朝日小学生新聞」の腕章を付けた豆記者たちの東京三洋電機訪問取材です。全国から選ばれたお利巧そうな豆記者5、6人が、工場を見学。その後、質疑応答。いじわるな質問もなく楽しく懇談をしました。後日、取材記事が紙面に大きく掲載されたものでした。

【写真】読売KODOMO新聞創刊号

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読売演劇大賞スタッフ賞

2011年02月04日 | 教育・文化

今朝の読売新聞1面に「第18回読売演劇大賞」の受賞者が掲載されています。

スタッフ賞に乗峯雅寛さんの氏名が。同氏は1979年埼玉県生まれの新鋭の舞台美術家。母校の多摩美術大学の卒業公演では、国際美術展に入選。私はこの分野にはまったく門外漢ですが、好評を博す舞台には、しっかりそれを支えるステージ美術の存在があることは肯けます。

文学座好きの方のブログによりますと、乗峯雅寛さんのいくつかの作品を「シンプルで美しく色気がある」と評しています。ちなみに同氏の父君は大泉保育福祉専門学校の前校長、乗峯静男氏。私と一緒に仕事をさせていただきました。このたびはおめでとうございます。

 

【写真】杉村春子賞の多部未華子(スポニチ)

 

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