ようやく瀬棚線終着駅「瀬棚駅」の記事に着手です。
*余分なことを書いているから2015年8月の記事がまだ書き終えません。
ブログ的に「ようやく」であって、当日の行動としてはかなりスムースに瀬棚駅跡に到着することが出来ました。
撮影データの時間を見ますと、瀬棚駅跡で撮影を開始したのが12時08分となっています。
瀬棚駅のホーム跡があったところには瀬棚駅の駅名標と瀬棚線全線の駅名が彫られた記念碑、そして“48”の距離標が展示されています。
記念碑には瀬棚線各駅のプレートとその下には「瀬棚線のあらまし」と表題された記述が見られます。
しかし、石材の色がグレーで非常にコントラストに乏しく、とても読みにくい「難読記述」であります。
駐車スペースには頼りになる「相棒」オデ君の姿が見えます。
この裏面の表情もど~なんでしょう?
廃線書籍には決まってこの石碑が登場するのでお馴染みの姿ではありますが、出来たら“デザイン・ポリシー”など製作者に伺ってみたいものであります。
右下に見える黒いプレートには「平成10年3月建立」と書かれています。
「瀬棚町総合福祉センターやすらぎ」という施設の全景です。
正面に見えるのがデイサービスのような施設で4棟目が「せたな町公営温泉浴場」という施設となっていました。
「せたな町公営温泉浴場」の入り口であります。
“ゆ”の暖簾が控えめに掛けられています。
入り口にはチケット・ベンダーが設置されています。
入湯価格は…大人¥400 高齢者¥200 となっています。
駅跡敷地のかなり広い位置を占める場所には「荻野 吟子」女史の功績を称える「荻野吟子女史顕称碑」が建立されています。
荻野吟子女史は10代にして結婚しその時受けた心身の傷から同じ悩みを持つ多くの女性を救おうと女性医師を目指します。
その志は男性社会であった医学界の多くの障害を乗り越えるモチベーションとなり、日本初の女性医師として医師免許を取得し東京湯島に「荻野医院」を開業しました。
そこまでは私のような者でも知っていましたが…その荻野吟子女史の記念碑がなぜ瀬棚町にあるのだろう?…と思いました。
早速、Wikiの解説を読んでみますと、荻野吟子女史は志方之善(しかたゆきよし)という方と再婚します。
その方は敬虔なキリスト教徒で、キリスト教徒の理想社会を作るという理想を掲げ単身北海道に渡ります。
その理想郷として選んだ地が、なんと!イマヌエル→今金町だったというのです。
先ほど訪れ「豊かな土地だなぁ~」と感想したあの今金町です。
後に妻の吟子も北海道今金町に渡り瀬棚町に診療所を開業し地域の人々の診療に専心します。
なるほど…その時の業績からこうした「顕称碑」が建立された背景があった訳です。
美しい容貌の内には鋼のように熱く真っ直ぐな「人々を救いたい」という志が秘められていたのですね。
廃線巡りをしていてこんな勉強になるとは思いませんでした。
瀬棚駅跡から229号線日本海側をわずか走ると海に聳える「奇岩」が目に入ってきます。
瀬棚町の観光シンボル「三本杉岩」です。
「せたな観光協会」のホームページの解説では、岩は30mほどの高さの安山岩でその頂頭部には「岩松」など寒冷地特有の植物が繁茂しそれがあたかも「杉」のように見えることから「三本杉」という名称がついたそうです。
写真のように「三本杉」とはいっても、寄り添う二本と一本は離れていて、それを三角関係の悲恋に見立て「主は三本杉よ、二本離れて妾しゃ独り」の民話を生み追分節にのって内地に渡り愛唱された…と解説されています。
三本杉の見える堤防にはなぜか「蛸」の彫像が展示されています。
辺りには解説のプレートも見当たらず、一体何のことなのか分からずじまいでありました。
*せたな観光協会に電話をして彫像について尋ねてみました。
かつてこの付近には「せたな水族館」という施設があったそうです。
廃止、解体されたのは「私が子供の頃だから20年ほど前…」と仰っていました。
瀬棚線が廃止されたのは1987年ですから、廃止後しばらくして水族館も廃止されたようですね。
その施設の一部としてこの彫像も作られたらしいのですが、本屋解体の際にこの彫像は残されたそうです。
なるほど納得ですが…せっかくですからかつてここに小さな「水族館」があったこと、そしてこれが残された彫像がであることを記してあげれば…と思いました。
お忙しい所、教えてくださった観光協会のスタッフの方ありがとうございました。
まだ鉄道には興味がなく観光地巡りとして北海道を歩いていた時に「道の駅スタンプラリー」に参加したさいに立ち寄った記憶があります。
懐かしかったですね。
10年経つと趣味も好みも変わるものです。
*余分なことを書いているから2015年8月の記事がまだ書き終えません。
ブログ的に「ようやく」であって、当日の行動としてはかなりスムースに瀬棚駅跡に到着することが出来ました。
撮影データの時間を見ますと、瀬棚駅跡で撮影を開始したのが12時08分となっています。
瀬棚駅のホーム跡があったところには瀬棚駅の駅名標と瀬棚線全線の駅名が彫られた記念碑、そして“48”の距離標が展示されています。
記念碑には瀬棚線各駅のプレートとその下には「瀬棚線のあらまし」と表題された記述が見られます。
しかし、石材の色がグレーで非常にコントラストに乏しく、とても読みにくい「難読記述」であります。
駐車スペースには頼りになる「相棒」オデ君の姿が見えます。
この裏面の表情もど~なんでしょう?
廃線書籍には決まってこの石碑が登場するのでお馴染みの姿ではありますが、出来たら“デザイン・ポリシー”など製作者に伺ってみたいものであります。
右下に見える黒いプレートには「平成10年3月建立」と書かれています。
「瀬棚町総合福祉センターやすらぎ」という施設の全景です。
正面に見えるのがデイサービスのような施設で4棟目が「せたな町公営温泉浴場」という施設となっていました。
「せたな町公営温泉浴場」の入り口であります。
“ゆ”の暖簾が控えめに掛けられています。
入り口にはチケット・ベンダーが設置されています。
入湯価格は…大人¥400 高齢者¥200 となっています。
駅跡敷地のかなり広い位置を占める場所には「荻野 吟子」女史の功績を称える「荻野吟子女史顕称碑」が建立されています。
荻野吟子女史は10代にして結婚しその時受けた心身の傷から同じ悩みを持つ多くの女性を救おうと女性医師を目指します。
その志は男性社会であった医学界の多くの障害を乗り越えるモチベーションとなり、日本初の女性医師として医師免許を取得し東京湯島に「荻野医院」を開業しました。
そこまでは私のような者でも知っていましたが…その荻野吟子女史の記念碑がなぜ瀬棚町にあるのだろう?…と思いました。
早速、Wikiの解説を読んでみますと、荻野吟子女史は志方之善(しかたゆきよし)という方と再婚します。
その方は敬虔なキリスト教徒で、キリスト教徒の理想社会を作るという理想を掲げ単身北海道に渡ります。
その理想郷として選んだ地が、なんと!イマヌエル→今金町だったというのです。
先ほど訪れ「豊かな土地だなぁ~」と感想したあの今金町です。
後に妻の吟子も北海道今金町に渡り瀬棚町に診療所を開業し地域の人々の診療に専心します。
なるほど…その時の業績からこうした「顕称碑」が建立された背景があった訳です。
美しい容貌の内には鋼のように熱く真っ直ぐな「人々を救いたい」という志が秘められていたのですね。
廃線巡りをしていてこんな勉強になるとは思いませんでした。
瀬棚駅跡から229号線日本海側をわずか走ると海に聳える「奇岩」が目に入ってきます。
瀬棚町の観光シンボル「三本杉岩」です。
「せたな観光協会」のホームページの解説では、岩は30mほどの高さの安山岩でその頂頭部には「岩松」など寒冷地特有の植物が繁茂しそれがあたかも「杉」のように見えることから「三本杉」という名称がついたそうです。
写真のように「三本杉」とはいっても、寄り添う二本と一本は離れていて、それを三角関係の悲恋に見立て「主は三本杉よ、二本離れて妾しゃ独り」の民話を生み追分節にのって内地に渡り愛唱された…と解説されています。
三本杉の見える堤防にはなぜか「蛸」の彫像が展示されています。
辺りには解説のプレートも見当たらず、一体何のことなのか分からずじまいでありました。
*せたな観光協会に電話をして彫像について尋ねてみました。
かつてこの付近には「せたな水族館」という施設があったそうです。
廃止、解体されたのは「私が子供の頃だから20年ほど前…」と仰っていました。
瀬棚線が廃止されたのは1987年ですから、廃止後しばらくして水族館も廃止されたようですね。
その施設の一部としてこの彫像も作られたらしいのですが、本屋解体の際にこの彫像は残されたそうです。
なるほど納得ですが…せっかくですからかつてここに小さな「水族館」があったこと、そしてこれが残された彫像がであることを記してあげれば…と思いました。
お忙しい所、教えてくださった観光協会のスタッフの方ありがとうございました。
まだ鉄道には興味がなく観光地巡りとして北海道を歩いていた時に「道の駅スタンプラリー」に参加したさいに立ち寄った記憶があります。
懐かしかったですね。
10年経つと趣味も好みも変わるものです。