♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書 144 / 大嶋重徳

2024年06月14日 | Weblog

2024/03/01放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聞いて行う」人だと言われました。一方で土台のない家とは、イエス様のことばを聞きながらも行わない人のことだと言われるのです。

 私たちには判断したり決断しなければならない時があります。人を評価しなければならない時もあります。人を評価する人は明確に評価基準を持っていないといけません。何が正しいか何が正しくないかをきちんと見定めることが出来ないといけないのです。判断する時にうろたえるような事があってはいけませんし、周りから見ても、「なるほど。それは分かる」という判断が出来ないといけません。感覚ではいけない訳です。その日の気分で裁いてしまってはいけません。「あの人はすごい」と勝手に持ち上げて、「あんな人だとは思わなかった」と勝手に人を落とすということもあるでしょう。

 では私たちが「裁いてはならない」と言われる時、どの基準で判断することが出来るのか。基準があるとするならば聖書の基準です。その聖書の基準で、愛を持って人を量っているのでしょうか。

 イエス様は「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです」(ルカの福音書6章45節)とおっしゃいました。

 私たちの人に向けることばが、どこから始まっているのかということが問われているのです。裁き合ったり、罪に定め合うところから、噂話で始まっているのであれば、悪い木からは悪い実しか実りません。悪い倉から悪いものが出てくるのです。
 良い木からは良い実が出てきますし、良い倉からは良い物が出てきます。

 私たちの心の土台がイエス様の愛によって建てられているでしょうか。その愛で溢れているものが内側から外側へと出てくるのです。今日も私たちにイエス様は慰めのことばをかけてくださいます。励ましのことばをかけてくださるのです。
 そのイエス様のことばをまずよく聞きましょう。沢山そのことばを内側に蓄えるのです。その心の良い蔵にイエス様の良いことばを、愛のことばで満たしていくのです。
 すると私たちの中に愛のことばが溢れてきます。そうなるとその判断はびくともしません。「ここに来ると安心するなー」と、人々の信頼を勝ち得て、人生の大嵐の時にだって逃げ込んでこれる、そんな関係を築いていくことができるのです。

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.3.1放送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■ルカの福音書 143 / 大嶋... | トップ | ■ルカの福音書 145 / 大嶋... »