goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしが命のパンである / 板倉邦雄

2024年06月08日 | Weblog

2024/02/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は、「わたしが命のパンである」という題でお話ししましょう。いよいよイエス様がご自分の正体を例えをもって明らかにします。

 「わたしが命のパンです。わたしが天から下ってきて、この世に命を与えるパンです。」
  ヨハネの福音書6章の34節から35節です(35節と33節)。

 さて、人々はイエス様に求めます。「主よ、いつもその神のパンを私たちにお与えください。」
  
 イエス様は答えました。「わたしが命のパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときでも決して渇くことがありません。」

 子供たちが大好きなアンパンマンは、お腹の空いた人に自分の顔をちぎって食べさせてあげますねぇ。
イエス様は私たちの命のパンです。ですからイエス様のそばに来る者にご自分の命をお与えになることができます。だから決して誰も飢えることはありません。イエス様が私たちにお与えになる命のパンは、量的な食べるパンのことではなく、質的な命のパンです。私たちの心と魂にお与えになる命のパンです。私たちの理性と感情と意思を、そして良心を満足させてくださるパンです。さらに、私たちの霊的な部屋も満足させる命のパンなのです。

 さらに具体的に言いますと、イエス様を信じて従ってくる人に、イエス様は安らぎや喜び、感謝の日々をお与えになります。祈りの霊を注いでくださり、愛や親切、寛容、柔和、自制の実りの果実を食べさせてくださるでしょう。

 さらにイエス様は続けて約束しました。「わたしを信じる者はどんな時でも決して渇くことがありません。」
 確かヨハネの4章でイエス様はご自分のことを生ける水に例えられました。愛に飢え渇いていたあのサマリヤの女性に言いましたね。「このヤコブの井戸の水を飲む者は誰でもまた渇きます。しかしわたしが与える水を飲む者は誰でも決して渇くことがありません。」

  この世の愛はキャッチボールの愛です。お互いに傷つけ合うこともあるでしょう。しかし、イエス様の愛は天から雨のように一方的で恵みの愛なのです。

 このイエス様を信じて、生ける命の水のような愛を注いでもらいたいのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.24放送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■神のパン / 板倉邦雄 | トップ | ■ルカの福音書 140 / 大嶋... »