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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■苦い水/板倉邦雄

2015年10月28日 | Weblog
2015/10/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「苦い水」という題でお話ししましょう。

 「苦い水」とは飲料水として飲むことができない水のことでしょう。塩分が多いとか、飲むと下痢を起こす細菌の多いきたない水のことです。

 さて、指導者モーセはイスラエルの人々を紅海から旅立たせました。いつまでも紅海を渡る奇跡に酔いしれている訳にはいかないのです。先祖の故郷の地へ帰らなくてはなりません。モーセは親が子どもたちをせかすように紅海から旅立たせたのです。モーセと人々は荒野に入り、三日の間、荒野を歩きました。しかし水を得ることができなかったのです。三日の間、食べなくても何とかなりますが、水分が取れないとは砂漠のような旅でしたから辛かったでしょう。熱中症になってしまいますねえ。やっとのことでメラに着きましたが、そこの水は苦くて飲むことができなかったのです。人々はモーセに向かってブツブツとつぶやきました。「私たちは何を飲んだらいいのですか?」 モーセは主なる神様に向かって叫ぶように祈りました。すると主なる神様はモーセに一本の木を示し、「その木の枝を水に投げ入れなさい」と言われたのです。モーセは木の枝を切って苦い水に投げ入れますと、何と水は甘くなって飲めるようになったのです。ある植物が酸性をアルカリ性に変化させたりすることは今日証明されています。また薬草として植物が与えられていることも私たちは知っています。モーセがエジプト王子として40歳まで学問を学んだことは今生かされたのかもしれません。あるいは逃亡先のミデヤンでの40年の羊飼いの生活を通して経験していったのかもしれません。

 さて、私たちの人生への旅において、にがくて苦しいことは多くあります。生きる苦しみがあり、老いる苦しみがあり、病む苦しみ、そして死の苦しみがあります。しかしその苦しみの中に主なる神様は一本の十字架の木を投げ込んでくださるのではないでしょうか。すると苦味が甘味に、苦難を越えて歓喜へと変えてくださるのです。

 聖書のことばです。
 「---キリスト---は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。」 イザヤ書53章3節 (口語訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.10.28放送でのお話より )

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