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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ゲッセマネの祈り    / 福井 誠

2013年03月28日 | Weblog
2013/3/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「ゲッセマネの祈り」です。それではマタイの福音書26章39節から読んでみましょう。

 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

 弟子たちとの最後の晩餐を終えてイエスはエルサレムの町を出てオリーブ山へ出かけられました。そのふもとにはゲッセマネと呼ばれる園があり、イエスはこの園を好んで祈りの場所としていたようです。ゲッセマネはヘブル語で「絞る」という意味の「ガス」と「油」を意味する「シェマーネ(シェメン)」の合成語で、「油絞り」を意味したと言います。実際そこにはオリーブの木があり、オリーブ油を絞る作業場があり、自然にそのように呼ばれるようになったのでしょう。ともあれ、この日イエスは特別な祈りをなさいました。

 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。

 イエスは度々ご自分が十字架にかかることを予告されて来ました。つまりここでいう杯は十字架のことです。イエスは「十字架を過ぎさらせてください」と祈ったのです。それは十字架がイエスにとって大変大きな試練であったということですね。既にイエスはご自分が十字架にかかられる意味について、それは全人類の身代わりとなって神のさばきを受け、全人類の罪が赦されるためなのだと説明されて来ています。しかし実際に自ら語った通り、十字架の道を突き進み、自らのいのちを神に捧げることは苦渋の試練に他なりませんでした。

 イエスは祈っています。
 「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

 イエスは神の御心がなされるように祈り、そして従いました。そのようなイエスの従順があったからこそ今私たちは罪を赦され、神を「父よ」と呼び祈ることも許されているのです。イエスの十字架の故に、神の呪いではなく祝福を受ける者とされた、信じる者に対する祝福があなたにもあるのです。

(PBA制作「世の光」2013.3.28放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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