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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私たちの負い目をお赦しください

2009年02月11日 | Weblog
 
世の光の時間です。 お元気ですか? 安海靖郎です。 

 お祈りについてのシリーズでのお話です。 イエス・キリストが教えた祈りの模範のことば。

 今日のことばは「私たちの負い目をお赦しください。 私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。」という一節です。

 「負い目」とは「負債・借金」のことで、「当然果たすべ義務」という意味です。
 でもこれは何も借金免除のお願いのお祈りではありません。 神様との関係において当然果たすべき義務を果たしていない、ということです。 

 ですから聖書で言う「罪」ということばと同じ意味になります。 その内容を最も説明しているのが、新約聖書ローマ一への手紙です。 3章9節からのところでこう言っています。 すべての人が罪の下にあるとはこういうことだと言うのです。
 「義人はいない。 ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(3章10~12節)というのです。

 神さまを正しく知ることが出来なくなってしまった。 ゆえに神さまにはご利益を求めても神様を尊敬して神様ご自身を求めることをしなくなってしまった。 

 だから人は誰も、自分はどこから来てどこへ行くのか、何のために生きるのかが分からなくなってしまった。

 ま、そこから人間同士が争い、偽り、寂しいいじめなどが、つまりあらゆる悪が生まれてきたというのです。 私たち自分自身を正直に見つめる時、神さまへの負い目を自覚します。

 そしてこの負い目を果たすべき義務を果たしてくださったのがイエス・キリストの十字架の贖(あがな)い・救いだというのです。 

 ペテロの第一の手紙の2章24節からのところに、こんなふうにそれを説明しています。 

 キリストは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(24、25節)

 ですからこのキリストを心に信じ仰ぐとき、心から「私たちの負い目をお赦しください」と、祈れるのです。 そして赦しを経験し、他者をも赦すことのできる力が心に湧いてくるというのです。
 
 ( PBA制作「世の光」2009.2.11放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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