世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「あなたのせいでも家族のせいでもない」です。
それでは聖書の中のヨハネの福音書9章3節から読んでみましょう。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」
イエスが道を歩いておられた時のこと、生まれつきの盲人が道端に座っていました。 弟子たちがイエスに訊ねました。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」(ヨハネの福音書9章2節)と。
当時人々がよく口にする質問について、弟子たちはイエスの考えを聞きたかった訳ですねえ。 目が見えない人の前でこんな議論をするなど随分弟子たちも配慮がない、そんな気もしますが、イエスはこう答えられました。 「そのどちらでもない。神のわざがこの人に現われるためです。」と。
イエスの弟子ですら配慮に欠けていたのですから、道行く心ない人たちは口々に言ったのではないでしょうか。 「ほら、あの人を見なさい。お母さんのお腹の中にいた時に罪を犯したんだね。」とか、「両親が何か悪いことをしたに違いない。」とか、悲しくなるようなことばを毎日浴びせていたことでしょう。
この人にとっては、この世はまさに闇そのものだったと思います。 しかしそこに神のわざが現れるため」と、これまでに掛けられたことのないことば・光が射し込んできたのです。 そこで次にどんなことばが語られるのか、この人は注意をそそられたに違いありません。
イエスはその人の目に自分のつばきをつけた泥を塗って言いました。 「シロアムという池で洗いなさい。」 神のどんなわざが現れるのか、この人は一目散に出かけていったのです。 その結果、彼の目は開かれました。 人々の笑顔、さんさんと輝くパレスチナの太陽、風にそよぐオリーブの木、そして自分の目を治してくださったイエス様を見ることができました。
これを象徴的に理解すれば、人生の闇というのはあなたのせいでもあなたの家族の不手際のせいでもありません。 神のわざが現れるためである、と受けとめていくことができます。 どんな時にも希望を持って、神が何をするように言われているかに心を留めて歩みたいものです。 そして聖書をしっかり読んでいきたいものですね。
(PBA制作「世の光」2009.2.12放送でのお話しより)
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