世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
ま、私たちの育った環境はどちらかというと絶対的な基準ではなくていつも相対的な基準で物事が測られて(量られて)きたように思うんです。例えば何か悪いことをしてもすぐに、でも何々ちゃんよりマシだようとか、そんなこと誰だってやってるよう、といった具合です。ですから聖書から「あなたは罪人です」なんて言われると、「イヤー、自分はそれほど悪い人間ではないですよ。だって新聞見たらもっと悪いやつたくさんいるじゃないですか。」こういうふうに考えるんですね。どうも周りを見て自分を判断することに私たちは慣れてしまっています。
ある世論調査が行われ、「あなたは幸せですか?」という問いに、なんと80%近い人たちが「ハイ。幸せです。」と答えたそうです。理由を尋ねると、「だあって、あのお隣の家庭に比べたら問題が少ない方ですから。」「あの大変な飢饉の状態の中にいる国の人たちを見たら私たちは幸せですよう。」「まあ今これと言って大きな問題がないから幸せかな。」ま、そんなような答えが多かったって言うんですねえ。何かいつも周りを見ながら自分の状態を判断するということに慣れているんですね。でも周りの価値観が変れば自分も振り回されてしまうということも多い訳です。
私たちは絶対的な尺度で物事を見るということの訓練があまりないようなんですねえ。でも実際生活の中で、例えば物差しを使う時にあなたが使っている物差しと私が使っている物差しが違っていたらどうでしょう。大変なことですね。アメリカでもヨーロッパでも日本でも1メートルという長さは同じでなければ大変です。家を建てる大工さんが必ず持っているものは物差しです。寸法を刻み、家を建てていく訳です。物差しが長さの基準になっている訳です。これは決してあなたの雰囲気や気分では変らないものですよね。物事を測る(量る)時に絶対的な基準があるかないかは結果的に大きな人生の違いさえもたらすんです。
さて、私たちの人生においてはどうでしょう。決して変らない物差しが必要ではありませんか? 時代は変ります。流行も変ります。しかし変らないものが一体あるんでしょうか? 聖書はこう言っています。マタイの福音書24章35節。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」
「わたしのことば」とは誰のことばでしょう。それはイエス・キリストの約束のことばなんですねえ。イエス・キリストはこう言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 イエス・キリストこそ決して変ることのない人生の指針なんですねえ。
( PBA制作「世の光」2005.7.19放送でのお話しより )
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