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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■良くなりたいか?

2005年07月05日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 新約聖書のヨハネの福音書の中にこういう出来事が紹介されています。

 ある時イエス・キリストがベテスダの池と呼ばれる所に行かれました。そこにはたくさんの病んでいる人たちがいました。なぜならその池はちょうど間欠泉のような池で時々池の底から水が湧くらしいんですね。そしてその池の水が動いた時最初に入った人は病気が癒されると信じられていたからです。ですから池の周りにはたくさんの病んでいる人たちが集まってきました。その中に何と三十八年も病で伏せっている男が居ました。イエス・キリストがそのベテスダの池に行った時、この三十八年も病んでいる男にこう声をかけられたんです。「良くなりたいか?」 この一言です。イエス・キリストは彼がもう長い間伏せっていていることを知っていてこういうことばをかけたんですね。

 きっとこの病人はイエス・キリストに対して、(何という男だろう)と思ったに違いありません。彼はこう答えました。「私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もう他の人が先に降りて行くのです。」こう言ったんです。要するに、(誰も私のことを気遣ってくれる人なんていやしないし、誰も池に連れて行っちゃくれない。みんな我先にと行ってしまう。私を助けてくれる存在なんていないのさ)って言ってるかのようですね。人は誰しも、「良くなりたいか?」と問われれば「ハイ、良くなりたいです。」と答えそうなものです。でも現実はそうでもないこともあるんですね。

 例えばあなたの中に空しさがありますか?何か憎しみや恨みの中で生きていませんか? 本来笑顔をもって生きていけるはずなのに心の重荷を抱えてそのままにしていませんか? そんなあなたに「良くなりたいか?」と尋ねられたらあなたは何と答えますか? 「良くなりたいかだって? 冗談じゃないよ、俺がこうなったのはさあ、あいつのせいだよ。人生なんてこんなものだよ。諦めるしかないね。自分の力でなんとかなるさ。」

 実は私たちは良くなることさえ求めない心の姿が時にはあるものなんです。でもイエス・キリストはこの38年の伏せっていた男に「床を取り上げて歩け。」と言われました。すると彼は勇気をもって立ち上がったんです。イエス・キリストは今もあなたが座りこんで諦めている現状に対して「立ち上がりなさい。」とおっしゃるんですよ。私たちにとって必要なことはキリストのことばを信じて素直に「ハイ。」と答える、そんな勇気なんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.7.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。











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