♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神は見えないけれど

2005年07月04日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、見たことがないもの・目に見えないもの、それを信じるということは確かに難しいことが分りますねえ。ですから、神様という方も目に見えない方ですから信じられないというふうにおっしゃるのも分らないことはありませんねえ。

 ある砂漠の案内人が大学の教授を案内して砂漠を渡った時のことだそうですが、こんな話があります。その案内人は敬虔なクリスチャンで、その教授と共に旅をしながらもしばしばお祈りをささげていたんですね。ところがある時教授が「君い、科学万能と言われるこの時代に今さら神を信じ神に祈るはないだろう。神を信じるなんてことは馬鹿馬鹿しいことだよ。」って言ったんだそうですね。

 えー、その日も太陽が砂漠を真っ赤に燃やして沈んでいきました。彼は教授のためにテントを張り、自分は毛布にくるまって寝ました。で翌朝早く教授は大声で彼を起こしました。というのは教授が起きてテントの周りを見るとどうやらサソリが歩き回ったような足跡がいっぱいあるんですね。そこで「こんな危険な所に自分を寝かせてたのか!」という訳ですね。その時案内人は教授に、「先生。先生はサソリを見たんですか?」「見るも見ないもこの足跡を見れば夕べこのテントの周りにサソリが何十匹といたってことが分るだろう! 君は何年案内人をしてるんだ!」って言って怒ったそうなんですが、すると彼はですねえ、「先生、足跡だけでサソリがいたとおっしゃるのは、私が今どき神様を信じているのが馬鹿馬鹿しいとおっしゃったのと同じで先生もまた馬鹿馬鹿しいことじゃないですか? 先生、真っ赤に染まった砂漠の夕焼け、降るような星空、そして輝きながら昇る朝日、これは神様が確かにおられるという足跡じゃないですか?」ってまあどっちが教授か分らなくなってしまうような会話ですけれどもねえ。

 聖書の中に、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」って詩篇の19篇なんですけれども、天も大空もそれは神の栄光を語り告げているのであって、そして神様の御手のわざのすばらしさを告げ知らせているんだということですね。そういう思いをもって私たちが周りを見回すならば確かに神様はおられるという何とも言えない、何と言いましょうか畏れの心と言いましょうかね、畏敬の念を持つようになるのではないでしょうか。私たちの人生の中で、そのような自分をここに存在させてくださった偉大なお方が確かにいるということを認めて生きる。これは人生にとって非常に根本的な大事なことではないでしょうか。

 
 ( PBA制作「世の光」2005.7.4放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。




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