世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。
今日は、私たち誰もが考え、また必要とする「生きる意味」 について考えてみたいと思います。
文化庁長官でカウンセリングや心理療法の大家、河合準雄さんはある月刊誌の「生きる意味」の特集で、すべて死に向かう人生の意味はその行き着く死について考えなければ出てこない、というようなことを言っておられます。考えさせられます。
関西学院大学の社会学部社会福祉学科で死生学、死と生きることの学問を教えておられる藤井美和さんも同じようなことを言っておられます。藤井さん自身が突然原因不明の重病で死に直面し、1年間闘病されました。その出来事を通して、人生を見つめ直し、与えられたいのちを人の役に立つ働きに使っていきたいと思うようになったそうです。
(藤井さんは)そんな経験と専門の学びを通してこんなことを言っておられます。病いを通し、また死を真剣に考える時、私たちはみんな一人一人弱く破れ多い者であることを自覚する。そこで神に生かされ愛されているという自分自身を受けとめ直すことができる。そうするとどんな人に対しても同じ人間なのだという立場で見れるようになるって言うのです。ああ、そう心から考えられるようになったらいいですねえ。そうすると勝ち組だとか負け組、お世話する人される人、強い人弱い人、という関係ではない、お互いみんな愛し合う支え支えられる存在であるっていうことが自分のものとなってくる訳です。そこに生きる意味が見えてくる・出てくるのではないでしょうか。そしてその死も恐い不可思議な闇ではなく、それに至るプロセスのいろいろな喪失感も変ってきます。失うのではない。預かっていたものをお返しすると考えられるようになる、というのです。お返しする永遠の神がはっきりしてくると、預かってきたものを今の生きていることに対しても意味が、感謝が生まれてくる。そして最も大切ないのちを永遠の神の御手にお返しするのだという希望が生まれてくる。そこに本当に生きる意味が生まれてくる、というのです。
(PBA制作「世の光」2005.7.15放送でのお話しより )
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