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百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

1.17のつどい 阪神・淡路大震災30年追悼式典

2025年01月18日 06時27分20秒 | 日記
 

 17日(金)、午前5時46分、パソコンに向かいながら30年前の地震の日のことを思い出した。そして、いつものように登校見守りに立った。
 9時15分頃には登庁。10時30分過ぎには、追悼式典が行われる県公館に入った。参列者の受付は公館近くの県農業共済会館で行われ、厳重な警備の中、県公館に入るという体制が敷かれていた。
 11時45分、天皇皇后両陛下が式場にお入りになり、開式となった。式場正面中央に追悼の灯りがともされ(写真:開式前の式場)、佐渡裕氏指揮で芸術文化センター管弦楽団により献奏曲が演奏された。
 開式の辞を主催者である「ひょうご安全の日推進県民会議」副会長の浜田県議会議長が述べ、続いて出席者全員による国歌斉唱、犠牲者への黙祷、県民会議会長の斎藤知事が式辞を述べた。
 天皇陛下から、震災の経験と教訓が次の世代に引き継がれていくことを期待するとの「おことば」があった。そのあと、坂井防災担当大臣、遺族代表の武田さんからの「ことば」が続いた。神戸市内の小学生により献唱曲「しあわせ運べるように」の合唱が行われた。次に「県民のことば」として、小学生(淡路)、中学生(西宮市)、高校生(県立高校)の代表が震災への思い、決意を述べた。このあと、県民会議の企画委員長の河田人と防災未来センター長が「1.17ひょうご安全の日宣言」を読み上げた。続いて、芸文管弦楽団の演奏で神戸市混声合唱団が合唱し、最後に天皇皇后両陛下のご献花、出席者による献花が行われ、1時間にわたる追悼式は終わった。
 午後2時から自民党議員団の県政改革調査検討委員会が開かれ、会派の意見開陳案について、最終の検討が行われた。午後4時30分、来客があった。
 午後5時から、保育推進連盟役員さんとの意見交換会に出席し、県政の現状、今後の展望などについて意見交換を行った。
 今日は阪神・淡路大震災30年一色だった。30年前は兵庫教育大学附属中学校の教員だった。早朝、何が起きているのか情報がないまま、道路に出て東南の方を見ていると、地鳴りととともに何度も衝撃波のような振動が電柱や体を震わせながら突き抜けていくのを感じていた。尋常ではないことが起きていると感じていた。あれから30年。日本列島は地震の活動期に入っている。「南海トラフ巨大地震は必ず起きる。その被害を少しでも減じるために備えをしておかなければならない。必ず起きるんです」といつも強く話される河田惠昭先生の言葉が何度も浮かんでくる。
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